20世紀日本人名事典 「三浦鑿」の解説 三浦 鑿ミウラ サク 大正・昭和期のブラジルの新聞人 「日伯新聞」社主・主筆。 生年明治14(1881)年12月6日 没年昭和20(1945)年10月26日 出生地愛媛県 本名三浦 鑿造 学歴〔年〕国民英学会中退 経歴明治41年ブラジル海軍練習艦で渡航、海軍で柔道を教えた。大正8年「日伯新聞」の社主兼主筆となり、反体制的な社会時評に健筆をふるった。絶えず移民の側に立ち、移民会社と官憲の御用新聞に対抗、毒舌と洒脱なユーモアで出先官憲・武官の偏狭な日本国粋主義を批判した。このため昭和6、14年の2回国外追放処分を受け、戦時中は東京で何度も拘留された。戦後政治犯釈放令で巣鴨から出獄、間もなく死亡。筋金入りのリベラリストでブラジル移民中、異色の言論人であった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦鑿」の解説 三浦鑿 みうら-さく 1881-1945 大正-昭和時代前期の新聞人。明治14年12月6日生まれ。41年ブラジルにわたる。大正7年現地で「日伯新聞」をゆずりうけ,同紙により移住者の立場にたって日本の移住会社や官憲を批判した。2度ブラジル国外への追放処分をうけ,第二次大戦中は東京で拘留された。昭和20年10月26日死去。65歳。愛媛県出身。国民英学会中退。本名は鑿造。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by