日本歴史地名大系 「三熊村」の解説 三熊村さんのくまむら 富山県:富山市旧婦負郡・射水郡地区三熊村[現在地名]富山市三熊射水丘陵の北東部、通称三熊山と、東の呉羽山(くれはやま)丘陵とに挟まれた谷間に位置。東は開発(かいほつ)村、北上すれば山本(やまもと)村、南下すれば長沢(ながさわ)村(現婦中町)、八尾(やつお)町方面へ通じた。三ノ熊・三之熊とも記された。婦負郡に属し、寛永一六年(一六三九)以降富山藩領。正保郷帳では高一二五石余、田方八町一反・畑方二反余、新田高三九石余。承応四年(一六五五)の知行所付状(加藤家文書)では、当村の三四石余(免四ツ四歩五厘)などが、加藤新八の知行地であった。寛政二年(一七九〇)の高物成品々手鏡では古高二〇〇石余・定免四ツ九歩四厘、新田高七一石余・平均免一ツ三歩六厘四味一払、銀納畑四千六二二歩(上納六六匁一分五厘)、小物成として山役三一一匁五分・蝋役三分七厘。 三熊村みくまむら 兵庫県:篠山市旧篠山町地区三熊村[現在地名]篠山市三熊中(なか)村の南東にあり、大芋(おくも)川支流の三熊川が流れる。慶長一三年(一六〇八)の多紀郡桑田津之国帳に「三熊村」とみえ、高九一石。正保郷帳では田高八四石・畠高七石。「丹波志」では大芋庄のうちで、高一四四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by