八尾(読み)ヤツオ

デジタル大辞泉 「八尾」の意味・読み・例文・類語

やつ‐お〔‐を〕【八尾】

富山県富山市南部を占める地域。旧婦負ねい八尾町。例年9月1日~3日に伝統行事「おわら風の盆」が行われる。また、八幡社の曳山ひきやま神事も有名。付近に越中八尾温泉など多くの温泉地がある。

やお【八尾】[狂言]

狂言。罪人が六道の辻閻魔えんまに会い、地獄へ落とされそうになるが、八尾地蔵からの手紙を見せて、極楽浄土へ送られる。

やお〔やを〕【八尾】

大阪府中部の市。大阪市の東に隣接し、住宅地軽工業も行われる。大信寺だいしんじ久宝寺きゅうほうじの寺内町として発展。人口26.9万(2010)。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「八尾」の意味・読み・例文・類語

やおやを【八尾】

  1. [ 一 ] 狂言。各流。六道の辻に罪人を待ち受けていた閻魔(えんま)大王は、ちょうど来かかった河内の八尾の男を地獄へ連れて行こうとする。しかし男が、昔大王の稚児だった八尾地蔵からの、男を極楽へ送るようにとの手紙を大王に差し出すと、大王はあきらめて、男を極楽に案内する。「天正狂言本」で「ざい人」、「狂言記(拾遺)」で「八尾地蔵」。
  2. [ 二 ] 大阪府中東部の地名。大阪市の南東隣にある。中世以降、久宝寺大信寺(八尾別院)の寺内町として形成された。花卉(かき)・野菜などの栽培が盛んで、工業・住宅都市としても発展。昭和二三年(一九四八)市制。

やつおやつを【八尾】

  1. 富山県富山市の地名。九月一日から三日間行なわれる風の盆の行事が知られる。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「八尾」の意味・わかりやすい解説

八尾[市] (やお)

大阪府東部の市。西は大阪市に接する。1948年市制。人口27万1460(2010)。市域東部は生駒山地,中部から西部は旧大和川の沖積平野である。町は,15世紀後半創建の浄土真宗本願寺派(西本願寺派)顕証寺が核となった久宝寺と,17世紀後半創建の真宗大谷派(東本願寺派)大信寺が核となった八尾の二つの寺内町に始まる。1704年(宝永1)の大和川付替え以後,平野部で新田開発が行われ,木綿,ナタネ油が作られた。

 1925年大阪電気軌道(現,近鉄大阪線)が開通して大阪市と結ばれてから住宅地化が始まった。歯ブラシ,撚糸など,明治中期からの地場産業に加えて,近年はJR関西本線や国道25号線沿いに鉄鋼,電気,機械,プラスチックなどの工場が進出している。近畿自動車道のインターチェンジがある。生駒山地の高安山麓では段々畑を利用して花木が栽培され,特産となっている。南部には1934年設置された八尾空港があり,関西のローカル航空基地として利用されている。高安古墳群のほか恩智(おんじ)神社,大聖勝軍(だいしようしようぐん)寺など古社寺も多い。弓削(ゆげ)は弓削道鏡の出身地。
執筆者:

八尾は旧大和川中流域に発達した寺内町在郷町で,近世初頭に久宝寺寺内より分離独立して形成された。久宝寺寺内は1470年(文明2)蓮如がこの地に布教して以来発展し始めたが,直接的には明応年中(1492-1501)に西証寺(のちの顕証寺)が建立されたことを契機とした。寺内は二重の水堀と土居で囲まれ,4ヵ所の出入口は木戸で守られていた。また寺内には街路が東西に走り,典型的な寺内町の景観を有した。寺内の支配は顕証寺から土豪安井氏にゆだねられていた。1580年(天正8)石山本願寺退却の折,織田信長は寺内の支配権を安井氏に与え,のち豊臣秀吉もこれを追認した。1606年(慶長11)顕証寺と安井氏の伝統的な支配に対して,村民17人と慈願寺(顕証寺の世話寺)が抗争し,ついに寺内から分離独立し,大和川の対岸に新しく町屋を開いた。これが八尾寺内で,東本願寺別院大信寺を建立し,慈願寺はその行事をつとめた。江戸時代初期久宝寺木綿がこの地の名産として知られていたが,1704年(宝永1)の大和川付替え後は八尾寺内の方が繁栄に向かった。江戸時代後期には八尾木綿の名で知られ,木綿づくりの一大中心地であった。また34年(享保19)石代銀(こくだいぎん)相場決定に当たっては河内の米の基準相場の一つとされた。
執筆者:


八尾 (やつお)

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「八尾」の意味・わかりやすい解説

八尾(市)
やお

大阪府中央部、大阪市の東に接する市。1948年(昭和23)八尾町を中心に、竜華(りゅうげ)町と久宝寺(きゅうほうじ)、大正(たいしょう)、西郡(にしごおり)の3村が合併して市制施行。1955年曙川(あけがわ)、高安の2村と南高安町、1957年志紀(しき)町を編入。2001年(平成13)特例市に、2018年中核市に移行。JR関西本線、近畿日本鉄道大阪線・同信貴線(しぎせん)、地下鉄(大阪市高速電気軌道)谷町線(たにまちせん)、国道25号、170号、大阪外環状線道路、近畿自動車道が通じる。市の南部に八尾空港がある。八尾の地名は一説に古代、矢作部(やはぎべ)が矢をつくり、その矢を背中に負うことからおこったといわれる。市域東部は標高400~500メートルの山地、西部は旧大和(やまと)川の三角州である大阪平野の一部である。山地には侵食谷が発達し、十三(じゅうさん)峠などは大阪と大和を結ぶ重要な交通路であった。金剛生駒紀泉国定公園(こんごういこまきせんこくていこうえん)域の信貴山(奈良県)へはケーブルとバスを乗り継いで達することができる。

 大和川の本流であった長瀬川沿いの八尾や久宝寺は、中世末に形成された寺内町(じないまち)である。久宝寺は1479年(文明11)創建の西証寺(せいしょうじ)(のち顕証寺(けんしょうじ))を中心とし、顕証寺は久宝寺御坊とよばれ、八尾は1606年(慶長11)創建の大信寺を中心とし、大信寺は八尾御坊とよばれた。旧大和川の河港で物資集散地としても栄えた。地場産業として、歯ブラシ、撚糸(ねんし)、製油などがあり、近代工業としてはアルミ金属工業、ゼラチンなどの化学工業がある。また花卉(かき)や植木の栽培も行われる。心合寺山古墳(しんごうじやまこふん)は国の史跡。大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)は聖徳太子の創建といわれ、「下(しも)の太子」とよばれる。式内社の恩智神社(おんぢじんじゃ)は河内二宮(かわちにのみや)といわれ、観音(かんのん)堂(現在は神宮寺感応院)には平安時代の十一面観音(国の重要文化財)を祀(まつ)る。顕証寺と大信寺では毎月11日と27日にお逮夜(たいや)市が開かれる。また、8月の常光寺の地蔵盆では河内音頭による盆踊りが行われる。面積41.72平方キロメートル、人口26万4642(2020)。

[安井 司]

『『八尾市史』全6冊(1974~1988・八尾市)』



八尾(旧町名)
やつお

富山県南部、婦負郡(ねいぐん)にあった旧町名(八尾町(まち))。現在は富山市の南西部を占める地域。旧八尾町は1889年(明治22)町制施行。1953年(昭和28)保内(やすうち)、杉原(すぎはら)、卯花(うのはな)、室牧(むろまき)の4村、1957年野積(のづみ)、仁歩(にんぶ)、大長谷(おおながたに)の3村と合併。2005年(平成17)富山市に合併。岐阜県境の山地から山麓(さんろく)の富山平野の一部を占め、室牧川、野積川、久婦須(くぶす)川、仁歩川が北流して旧町域の中心部で合流して井田川となる。JR高山本線、国道471号、472号が通じ、富山駅からのバスの便も多い。中心の八尾は、天文(てんぶん)年間(1532~1555)飛騨高原郷(ひだたかはらのごう)から浄土真宗聞名寺(もんみょうじ)がこの地に寺基を定めてより開け、江戸時代には谷口の市場町としても発達した。野積、室牧など河谷の村々では富山藩政時代から富山売薬の包み紙などの和紙生産が盛んで、現在も袋物や小物などの工芸品を製造する。9月1~3日の「風の盆」は「越中オワラ節(えっちゅうおわらぶし)」にのって八尾が唄(うた)と踊りに明け暮れる。八幡(はちまん)社の祭礼に曳(ひ)き回される曳山(ひきやま)は県の有形民俗文化財。県境の白木峰(しらきみね)一帯は県立自然公園。

[深井三郎]

『『八尾町史』全2巻(1967~1973・八尾町)』



八尾(狂言)
やお

狂言の曲名。鬼狂言。河内(かわち)国(大阪府)八尾の里の男(ウソフキの面を着用)が冥土(めいど)へやってくる。地獄・極楽の分岐点である六道の辻(つじ)に差しかかると、閻魔(えんま)王(シテ、武悪(ぶあく)の面を着用)が待っていて、早速男を地獄へ責め落とそうと打ちかかるが、そのたびに男は、杖(つえ)の先につけた文を閻魔王の鼻面(はなづら)に差し出す。八尾地蔵から預ってきたという文の内容は「閻もじ参る、地」という恋文の書式で始まり、この男は八尾地蔵を信奉する旦那(だんな)のゆかりなので極楽へ送り届けてほしい、とある。昔の恋人からの文にほだされて、閻魔王は男を極楽浄土へ道案内して終曲。八尾地蔵と閻魔王が男色の恋人関係にあったという奇想天外な設定は、地蔵信仰を反映しながらも、宗教の実相をからりと笑いとばす、いかにも狂言らしい発想である。

[油谷光雄]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八尾」の意味・わかりやすい解説

八尾
やつお

富山県中部,富山市南西部の旧町域。飛騨山地の北斜面に位置する。1953年八尾町(1889町制)と保内村,杉原村,卯花村,室牧村の 4村が合体,さらに 1957年野積村,仁歩村,大長谷村の 3村と合体。2005年富山市,大沢野町,大山町,婦中町,山田村,細入村と合体して富山市となった。南は岐阜県に接し,神通川支流の井田川の上・中流域を占める。中心地区は井田川の谷口にあり,聞名寺の門前町で,古くから蚕種,繭,生糸,和紙,薬草の集散地としてにぎわった。伝統の八尾和紙および和紙加工民芸品の製造が盛んである。ほかに米,野菜を産し,畜産,酪農,林業も行なわれる。サクラの名所城ヶ山公園や聞名寺などの名刹があり,本法寺の法華経曼荼羅図 21幅は国の重要文化財。毎年 9月1~3日のおわら風の盆には民謡『越中おわら節』と踊りでにぎわう。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「八尾」の意味・わかりやすい解説

八尾[町]【やつお】

富山県南部,婦負(ねい)郡の旧町。飛騨高地が大半を占め,井田川が富山平野に出る谷口に主集落八尾があり高山本線が通じる。手すき和紙を特産し,米,野菜を産する。工業団地が造成され,企業が進出している。〈越中おわら節〉の本場で,9月初めを〈風の盆〉といい,町内総出で踊る。2005年4月上新川郡大沢野町,大山町,婦負郡婦中町,山田村,細入村と富山市へ編入。236.86km2。2万2463人(2003)。

八尾[市]【やお】

大阪府東部の市。1948年市制。大阪平野と生駒山地西麓にまたがる。中心市街は近世初期に東本願寺別院大信寺(八尾御坊)の寺内町として成立,大坂冬の陣,夏の陣で灰燼に帰した。近世を通じ八尾木綿の名で知られた河内綿業の一中心であった。金属,化学,紡績などの大工場があり,ブラシ,鼻緒などの地場産業も盛ん。関西本線,おおさか東線,近鉄大阪線,大阪市営地下鉄谷町線,近畿自動車道などが通じ宅地化も著しい。生駒山地は金剛生駒紀泉国定公園の一部。南部には八尾空港がある。41.72km2。27万1460人(2010)。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android