大阪府東部の市。西は大阪市に接する。1948年市制。人口27万1460(2010)。市域東部は生駒山地,中部から西部は旧大和川の沖積平野である。町は,15世紀後半創建の浄土真宗本願寺派(西本願寺派)顕証寺が核となった久宝寺と,17世紀後半創建の真宗大谷派(東本願寺派)大信寺が核となった八尾の二つの寺内町に始まる。1704年(宝永1)の大和川付替え以後,平野部で新田開発が行われ,木綿,ナタネ油が作られた。
1925年大阪電気軌道(現,近鉄大阪線)が開通して大阪市と結ばれてから住宅地化が始まった。歯ブラシ,撚糸など,明治中期からの地場産業に加えて,近年はJR関西本線や国道25号線沿いに鉄鋼,電気,機械,プラスチックなどの工場が進出している。近畿自動車道のインターチェンジがある。生駒山地の高安山麓では段々畑を利用して花木が栽培され,特産となっている。南部には1934年設置された八尾空港があり,関西のローカル航空基地として利用されている。高安古墳群のほか恩智(おんじ)神社,大聖勝軍(だいしようしようぐん)寺など古社寺も多い。弓削(ゆげ)は弓削道鏡の出身地。
執筆者:秋山 道雄
八尾は旧大和川中流域に発達した寺内町,在郷町で,近世初頭に久宝寺寺内より分離独立して形成された。久宝寺寺内は1470年(文明2)蓮如がこの地に布教して以来発展し始めたが,直接的には明応年中(1492-1501)に西証寺(のちの顕証寺)が建立されたことを契機とした。寺内は二重の水堀と土居で囲まれ,4ヵ所の出入口は木戸で守られていた。また寺内には街路が東西に走り,典型的な寺内町の景観を有した。寺内の支配は顕証寺から土豪安井氏にゆだねられていた。1580年(天正8)石山本願寺退却の折,織田信長は寺内の支配権を安井氏に与え,のち豊臣秀吉もこれを追認した。1606年(慶長11)顕証寺と安井氏の伝統的な支配に対して,村民17人と慈願寺(顕証寺の世話寺)が抗争し,ついに寺内から分離独立し,大和川の対岸に新しく町屋を開いた。これが八尾寺内で,東本願寺別院大信寺を建立し,慈願寺はその行事をつとめた。江戸時代初期久宝寺木綿がこの地の名産として知られていたが,1704年(宝永1)の大和川付替え後は八尾寺内の方が繁栄に向かった。江戸時代後期には八尾木綿の名で知られ,木綿づくりの一大中心地であった。また34年(享保19)石代銀(こくだいぎん)相場決定に当たっては河内の米の基準相場の一つとされた。
執筆者:内田 九州男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大阪府中央部、大阪市の東に接する市。1948年(昭和23)八尾町を中心に、竜華(りゅうげ)町と久宝寺(きゅうほうじ)、大正(たいしょう)、西郡(にしごおり)の3村が合併して市制施行。1955年曙川(あけがわ)、高安の2村と南高安町、1957年志紀(しき)町を編入。2001年(平成13)特例市に、2018年中核市に移行。JR関西本線、近畿日本鉄道大阪線・同信貴線(しぎせん)、地下鉄(大阪市高速電気軌道)谷町線(たにまちせん)、国道25号、170号、大阪外環状線道路、近畿自動車道が通じる。市の南部に八尾空港がある。八尾の地名は一説に古代、矢作部(やはぎべ)が矢をつくり、その矢を背中に負うことからおこったといわれる。市域東部は標高400~500メートルの山地、西部は旧大和(やまと)川の三角州である大阪平野の一部である。山地には侵食谷が発達し、十三(じゅうさん)峠などは大阪と大和を結ぶ重要な交通路であった。金剛生駒紀泉国定公園(こんごういこまきせんこくていこうえん)域の信貴山(奈良県)へはケーブルとバスを乗り継いで達することができる。
大和川の本流であった長瀬川沿いの八尾や久宝寺は、中世末に形成された寺内町(じないまち)である。久宝寺は1479年(文明11)創建の西証寺(せいしょうじ)(のち顕証寺(けんしょうじ))を中心とし、顕証寺は久宝寺御坊とよばれ、八尾は1606年(慶長11)創建の大信寺を中心とし、大信寺は八尾御坊とよばれた。旧大和川の河港で物資集散地としても栄えた。地場産業として、歯ブラシ、撚糸(ねんし)、製油などがあり、近代工業としてはアルミ金属工業、ゼラチンなどの化学工業がある。また花卉(かき)や植木の栽培も行われる。心合寺山古墳(しんごうじやまこふん)は国の史跡。大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)は聖徳太子の創建といわれ、「下(しも)の太子」とよばれる。式内社の恩智神社(おんぢじんじゃ)は河内二宮(かわちにのみや)といわれ、観音(かんのん)堂(現在は神宮寺感応院)には平安時代の十一面観音(国の重要文化財)を祀(まつ)る。顕証寺と大信寺では毎月11日と27日にお逮夜(たいや)市が開かれる。また、8月の常光寺の地蔵盆では河内音頭による盆踊りが行われる。面積41.72平方キロメートル、人口26万4642(2020)。
[安井 司]
『『八尾市史』全6冊(1974~1988・八尾市)』
富山県南部、婦負郡(ねいぐん)にあった旧町名(八尾町(まち))。現在は富山市の南西部を占める地域。旧八尾町は1889年(明治22)町制施行。1953年(昭和28)保内(やすうち)、杉原(すぎはら)、卯花(うのはな)、室牧(むろまき)の4村、1957年野積(のづみ)、仁歩(にんぶ)、大長谷(おおながたに)の3村と合併。2005年(平成17)富山市に合併。岐阜県境の山地から山麓(さんろく)の富山平野の一部を占め、室牧川、野積川、久婦須(くぶす)川、仁歩川が北流して旧町域の中心部で合流して井田川となる。JR高山本線、国道471号、472号が通じ、富山駅からのバスの便も多い。中心の八尾は、天文(てんぶん)年間(1532~1555)飛騨高原郷(ひだたかはらのごう)から浄土真宗聞名寺(もんみょうじ)がこの地に寺基を定めてより開け、江戸時代には谷口の市場町としても発達した。野積、室牧など河谷の村々では富山藩政時代から富山売薬の包み紙などの和紙生産が盛んで、現在も袋物や小物などの工芸品を製造する。9月1~3日の「風の盆」は「越中オワラ節(えっちゅうおわらぶし)」にのって八尾が唄(うた)と踊りに明け暮れる。八幡(はちまん)社の祭礼に曳(ひ)き回される曳山(ひきやま)は県の有形民俗文化財。県境の白木峰(しらきみね)一帯は県立自然公園。
[深井三郎]
『『八尾町史』全2巻(1967~1973・八尾町)』
狂言の曲名。鬼狂言。河内(かわち)国(大阪府)八尾の里の男(ウソフキの面を着用)が冥土(めいど)へやってくる。地獄・極楽の分岐点である六道の辻(つじ)に差しかかると、閻魔(えんま)王(シテ、武悪(ぶあく)の面を着用)が待っていて、早速男を地獄へ責め落とそうと打ちかかるが、そのたびに男は、杖(つえ)の先につけた文を閻魔王の鼻面(はなづら)に差し出す。八尾地蔵から預ってきたという文の内容は「閻もじ参る、地」という恋文の書式で始まり、この男は八尾地蔵を信奉する旦那(だんな)のゆかりなので極楽へ送り届けてほしい、とある。昔の恋人からの文にほだされて、閻魔王は男を極楽浄土へ道案内して終曲。八尾地蔵と閻魔王が男色の恋人関係にあったという奇想天外な設定は、地蔵信仰を反映しながらも、宗教の実相をからりと笑いとばす、いかにも狂言らしい発想である。
[油谷光雄]
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