三石城跡(読み)みついしじようあと

日本歴史地名大系 「三石城跡」の解説

三石城跡
みついしじようあと

[現在地名]備前市三石

標高二九一メートルの三石山(城山)山頂にある。播磨・備前との国境の船坂ふなさか峠の南西に位置し、眼下には三石宿が開け、備前東部の要衝にあった。とくに南北朝の内乱以後、播磨西部と一体化した展開のなかで最大拠点の一つとして位置した。県指定史跡。

築城年代は不明であるが、「舟上記」には元弘二年(一三三二)の年末から翌年春にかけて反幕で挙兵した各地の武士のうちに備前の伊東大和二郎がみえ、三石城に立籠り山陽道をふさいだという。「太平記」巻一四・一六や「梅松論」などによると、建武二年(一三三五)一一月、備中福山ふくやま(現都窪郡山手村)を攻めた天皇方の児島高徳らは敗れて「三石ノ城」に籠った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む