三谷宗鎮(読み)みたに・そうちん

朝日日本歴史人物事典 「三谷宗鎮」の解説

三谷宗鎮

没年寛保1.5.12(1741.6.24)
生年:寛文5(1665)
江戸中期の儒者,茶匠。茶道三谷流の祖。名は義方。良朴,丹下,南川斎などと号した。播州明石の人。京都に出て儒学伊藤東涯に,茶を表千家6代宗左(覚々斎,原叟)に学ぶ。上野宗吟,服部道円,鈴木宗閑と共に原叟四天王と称された。茶の湯をもって芸州浅野家に招かれるが,茶頭役たることを嫌い,儒者格200石で仕官した。主として京都油小路竹屋町に住み,茶を教授した。著作に中国・日本の茶の歴史や茶道具などを記した『和漢茶誌』(1728)などがある。代々宗鎮を称して,5代宗鎮(不朽斎)まで茶頭役として芸州浅野家に仕えた。

(谷端昭夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三谷宗鎮」の解説

三谷宗鎮(初代) みたに-そうちん

1665-1741 江戸時代中期の茶人。
寛文5年生まれ。儒学を伊藤東涯にまなび,茶は表千家6代千宗左の門人で,門下四天王のひとり。安芸(あき)広島藩主浅野家に儒者格でつかえ,京都藩邸詰め茶頭(さどう)をつとめた。寛保(かんぽう)元年5月12日死去。77歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。名は義方。字(あざな)は良朴。通称は丹下。別号に南川子など。著作に「和漢茶誌」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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