三須成懋(読み)みす・せいも

朝日日本歴史人物事典 「三須成懋」の解説

三須成懋

没年:明治36.4.17(1903)
生年天保9(1838)
明治期の実業家。岩国藩士足助重雍の次男,天保12(1841)年に三須教方の養子となる。慶応3(1867)年に藩の節倹掛となって殖産興業に力を注ぎ,維新後,明治6(1873)年に義成堂を創設して士族授産をはかった。2年後に義成堂を解散して義斉堂を新設し,会頭となって綿織物を中心とする工場を経営した。その後,義斉堂は絹織物業にも進出し,地域産業として発展した。著書に『切磋録』がある。士族授産から出発し,義斉堂の企業転換に成功して岩国地域を発展させた功績は大きい。<参考文献>『岩国市史

(小川国治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三須成懋」の解説

三須成懋 みす-せいも

1838-1903 幕末-明治時代の武士,実業家。
天保(てんぽう)9年生まれ。周防(すおう)(山口県)岩国藩士。節倹局の創設でその掛をつとめる。維新後は奈良県,群馬県の大参事。明治6年帰郷して義成堂(のち義済堂)を創立し,綿工業などをおこして旧藩士の自活の道をひらいた。明治36年4月17日死去。66歳。本姓は足助(あすけ)。字(あざな)は仲敬。号は紫崖。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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