マッキム・ミード&ホワイト(読み)まっきむみーどあんどほわいと(英語表記)McKim, Mead & White

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

マッキム・ミード&ホワイト
まっきむみーどあんどほわいと
McKim, Mead & White

19世紀末~20世紀初頭のアメリカを代表する設計事務所。チャールズ・フォレン・マッキムCharles Follen Mckim(1847―1909)、ウィリアム・ラザフォード・ミードWilliam Rutherford Mead(1846―1928)、スタンフォード・ホワイトStanford White(1853―1906)により設立され、ニューヨークを中心に多くのすぐれた様式建築を残した。また南北戦争後のアメリカにおいて、住宅様式におけるシングル・スタイルや都市的建築におけるアメリカン・ルネサンス様式の発展に重要な役割を担った。

 マッキムはペンシルベニア州生まれ。当初は工学技師を志すが、建築家ラッセル・スタージスRussell Sturgis(1836―1909)の事務所で働いたことをきっかけとして建築の道に進む。1867年にパリに渡りフランス国立美術学校(エコール・デ・ボザール)に入学。1870年に帰国しヘンリー・ホブソン・リチャードソンの設計事務所に勤務、1873年ボストンのトリニティ教会の競技設計用図面などを担当した。1872年ごろから個人で仕事を始めている。ミードはバーモント州生まれ。1867年にマサチューセッツ州のアマースト大学を卒業後、スタージスのもとで働く。1871年にヨーロッパに渡りフィレンツェの美術アカデミーで学ぶ。帰国後の1877年、マッキムとミードはパートナーシップを結んだ。ホワイトはニューヨークに生まれ、当初画家を目指すが断念し建築家を志す。1872年よりリチャードソンのもとで働き、マッキムの後を受けてトリニティ教会の実施設計に携わる。1878年にヨーロッパでほぼ1年間建築を見てまわり、帰国後マッキムの勧めによりパートナーシップに加わり、1879年マッキム、ミード&ホワイトが誕生した。

 彼らはニューコム邸(1880、ニュー・ジャージー州)、マコーミック邸(1881、ニューヨーク州)などの住宅を完成させ、当時一般的であったコロニアル様式を下敷きにし、郊外の新しい住宅様式を生み出した。後のフランク・ロイド・ライト等につながる、部屋を連続させ平面を開放的にしていく指向や、明快な形態を構成的に扱い力強い外観をもつ彼らの様式は、シングル(薄板)に覆われた外壁から後に建築史家ビンセント・スカリーVincent Scully(1920―2017)によってシングル・スタイルと名づけられた。ウィリアム・ロー邸(1887、ロード・アイランド州)はその集大成で、アメリカにおける郊外住宅の様式を近代化したものである。

 アメリカン・ルネサンス様式は、都市的建築様式の課題に対する答えとして導かれた。ニューヨークにおける最初の大規模な設計であるヘンリー・ビラード邸(1885)では、古典的なイタリア・ルネサンス様式を用いている。続いて設計したボストン公共図書館(1895)で彼らの名声は確立し、アメリカ様式建築の方向を決定づけた。ルネサンス様式のパラッツォ(邸宅)を参照し、アーチ列で飾られた外壁、列柱で囲まれた中庭、3連アーチの入り口をそなえた堂々たる建築である。マディソン・スクエア・ガーデン、メトロポリタンクラブ(ともに1891)やユニバーシティ・クラブ(1899)などのニューヨークのクラブハウス、ワシントン・スクエア・メモリアル・アーチ(1891)などにもこれらの手法がよく表れている。

 1893年シカゴで開かれたコロンビア万国博覧会では建築家ダニエル・バーナムDaniel Burnham(1846―1912)に招かれ展示館の計画に参加し、新古典主義様式と白ストゥッコ(漆喰)仕上げで統一された「ホワイト・シティ」と呼ばれる建築群を出現させた。これらの美しく調和した新古典様式は以降アメリカの国家的建築の模範となる。その後、より壮大な表現へと移行してゆく。十字型平面と丸いドームを頂くコロンビア大学のロー・ライブラリー(1903)はその代表的な作品である。ほかにボストン・シンフォニー・ホール(1901)、ロード・アイランド州会議事堂(1903)、ブルックリン美術館(1915)、メトロポリタン美術館増築(1916、ニューヨーク)など、規模が大きくモニュメンタルな作品がつくられた。

 1907年、高層建築のニューヨーク新市庁舎競技設計に参加し実施案に選ばれる。1916年に完成するが、マッキムとホワイトはすでに亡くなり、ミードも設計実務を離れていた。以降もマッキム・ミード&ホワイト設計事務所は次の世代が中心となって活動を続ける。

 アメリカの都市景観の基礎を築いた最大の功労者にもかかわらず、近代建築によって様式建築が否定されたため長い間正当な評価がされてこなかった。近代建築への反省から、1960年代以降彼らの仕事は再評価される。

 マッキムの受賞歴はパリ万博ゴールド・メダル(1900)、イギリス王立建築家協会ゴールド・メダル(1903)、アメリカ建築家協会ゴールド・メダル(1909)などである。1902年から1903年までアメリカ建築家協会会長を務める。ミードの受賞歴はアメリカ芸術文学アカデミー・ゴールド・メダル(1913)などで、1907年から1908年までアメリカ建築家協会ニューヨーク支部長を務める。

 マッキム・ミード&ホワイトのそのほかの主な作品にはニューポート・カジノ(1881、ロード・アイランド州)、ベル邸(1883、ロード・アイランド州)、センチュリー・クラブ(1891、ニューヨーク)、ニューヨーク・ヘラルド・ビル(1895)、ティファニー・ビル、モーガン・ライブラリー、マディソン・スクエア・プレズビテリアン教会(いずれも1906、ニューヨーク)、アメリカン・アカデミー(1913、ローマ)、ニューヨーク・ラケット・クラブ(1919)などがある。

[日埜直彦]

『小林克弘著『建築巡礼9 アメリカ様式建築の華――マッキム・ミード・ホワイト』(1988・丸善)』『小林克弘著『建築巡礼44 ニューヨーク――摩天楼都市の建築を巡る』(1999・丸善)』


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