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フランスの作曲家。サン・ジェルマン・アン・レーの、貧しく、芸術的環境からはほど遠い家庭に8月22日に生まれる。その彼を音楽に触れさせたのは伯母だが、まもなくベルレーヌの義母モテ・ド・フルールビル夫人にピアノを学び、彼女の尽力で10歳でパリ音楽院に入学、1884年カンタータ『放蕩(ほうとう)息子』によってローマ大賞を得るまで在学。その間、チャイコフスキーのパトロンとして名高いフォン・メック夫人のピアニストとしてヨーロッパ各地を回ったりした。
ローマ大賞受賞者の義務としての2年間のローマでの寄宿生活は、内向的で非社交的な彼にとって満足のいくものではなかった。規定の数曲を書くや、ただちにパリに帰り、象徴派詩人の集まる芸術サロンに加わった。なかでも、マラルメの「火曜会」にただ1人の音楽家として出席していたことは彼の音楽に強い足跡を残している。また、この時期、彼の作曲活動のうえで二つの大きなできごとがおこっている。一つは、1888、89年のバイロイト訪問により、それまで傾倒していたワーグナーと自己の求める様式との相違を自覚したこと、もう一つは89年のパリ万国博覧会でジャワのガムラン音楽に触れたことである。ワーグナーに対する陶酔が、重苦しさ、押し付けがましさに変わると同時に、19世紀ロマン主義の美学に追随するのではなく、それを批判し、新たな感覚の音楽をつくる意欲が生まれてきたのである。そしてガムランの非西洋的リズムや音階が、ワーグナーの呪縛(じゅばく)から逃れるための重要な手法となった。その結実が、マラルメの長詩に霊感を得た管弦楽曲『牧神の午後への前奏曲』(1892~94)である。ここで彼は、瞬間瞬間の響きをたいせつにする独自のスタイルへ向かう手掛りを得た。この傾向は歌曲集『忘れられた小唄(こうた)』(ベルレーヌ作詩、1888)、『艶(えん)なる宴(うたげ)』第一集(同上、1903)、『ビリティスの三つの唄』(ピエール・ルイス作詞、1897~98)にも現れている。
1899年、ロザリー(リリー)・テクシエと結婚したが、1903年ごろから銀行家のエンマ・バルダック夫人と恋仲になり、ロザリーが自殺未遂をおこすなど大きな社会的スキャンダルとなる。そして、再婚したドビュッシーとエンマの間には、05年に娘エンマ(愛称シュシュ)が生まれ、彼はやっと平和な家庭生活を営むようになる。のちに彼は愛娘のためにピアノ曲集『子どもの領分』を作曲(1906~08)している。
この中期の代表作に、ベルギーの象徴派詩人メーテルリンクの台本によるオペラ『ペレアスとメリザンド』(1902・パリ初演)がある。原作のドラマのパリ公演を見た1893年以来、構想10年、ワーグナーの重圧を克服し、フランス語本来のリズムや抑揚をたいせつにしたドビュッシー唯一のオペラである(なおオペラにはポー原作の未完の『アッシャー家の崩壊』があり、補作、管弦楽化され、1977年に試演された)。『ペレアスとメリザンド』で彼は象徴派独特の幾重にも夢と現実が交錯しあう鏡のような宇宙を描き、19世紀的和声法の枠を越えた、より自由な音色の移り変わりを実現した。それは、まさに「音の色」とよぶにふさわしい、聴く者の共感覚に訴えかける色彩的な響きの追究であった。これが、彼を「印象主義的音楽家」「印象派の音楽家」とよぶゆえんである。
この時期の傑作として、管弦楽曲『海』(1903~05)、ピアノ曲『版画』(1903)、『影像』(第一集1904~05、第二集1907)、歌曲『艶なる宴』第二集(ベルレーヌ作詩、1904)があげられる。
1909年以降、彼はしだいに病に伏しがちとなる。また、第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)も大きな精神的ショックを与えた。それでも大戦前にはピアノ曲集『前奏曲』(第一集1909~10、第二集1910~12)、ダンヌンツィオの神秘劇『聖セバスチャンの殉教』(1911)、バレエ曲『遊戯』(1912~13)、歌曲『ステファヌ・マラルメの三つの詩』(1913)などが完成され、円熟ぶりがうかがえる。そして大戦中、18世紀の古典主義的形式に20世紀の響きを接合する六つのソナタが計画された。完成したのはそのうちの三つで、『チェロとピアノのためのソナタ』『フルート、ビオラとハープのためのソナタ』(ともに1915)、『バイオリンとピアノのためのソナタ』(1916~17)である。これらが彼の最後の作品となった。1918年3月25日、パリにて死去。死因は直腸癌(がん)であった。
[船山 隆]
『平島正郎著『大音楽家・人と作品12 ドビュッシー』(1966・音楽之友社)』▽『S・ヤロチニスキ著、平島正郎訳『ドビュッシイ――印象主義と象徴主義』(1986・音楽之友社)』▽『A・ゴレア著、店村新次訳『ドビュッシー』(1971・音楽之友社)』▽『ドビュッシー著、杉本秀太郎訳『音楽のために』(1977・白水社)』▽『E・R・シュミッツ著、大場哉子訳『ドビュッシーのピアノ作品』(1984・全音楽譜出版社)』
フランスの作曲家。パリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レーに生まれる。伯母のすすめでピアノを習い,ベルレーヌの義母モテ夫人に才能を見いだされその訓育をうけて,1872年パリ高等音楽院に入学。A.F.マルモンテル(ピアノ),ラビニャック(ソルフェージュ),E.ギロー(作曲)らに師事。84年カンタータ《放蕩息子》によりローマ大賞を得て卒業。その間,学資稼ぎにチャイコフスキーの後援者であったN.vonメック夫人のピアノ奏者をつとめて夏休み3回をロシアやヨーロッパ各地で過ごし,これは感受性と趣味を育てるのに幸いした。また,教養人バニエ夫妻を知り,教養面で啓発される一方,同夫人のソプラノに誘われて《マンドリン》(1882。ベルレーヌ詩)ほか最初期の歌曲を作曲した。
卒業後大賞受賞者としてローマに滞在,留学作品に合唱つきの交響組曲《春》,カンタータ《選ばれた乙女》(ロセッティ詩のフランス語訳)などがあるが,後者はほとんどパリでつくられたもので,93年初演されていささか彼の名を世間に知らせた。同年末に弦楽四重奏曲,翌年末マラルメの詩に基づく《牧神の午後への前奏曲》と,傑作があいつぐ。かたわら,熱狂していたR.ワーグナーへの批判がめざめた。また,ムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》とガムラン音楽から啓示を受け,マラルメ,ピエール・ルイら象徴派詩人と交わる。こうした体験が,彼の美学と作風の発酵を促した。ボードレールの《悪の華》による歌曲《五つの詩》(1887-89),ベルレーヌの詩による歌曲《忘れられた小唄》(1886-88),《なまめく宴》第1集(1903),第2集(1904),詩に触発されたピアノ曲《ベルガマスク組曲》(1890,《月の光》を含む)も,同様の意味で重要である。93年メーテルリンクの戯曲《ペレアスとメリザンド》の舞台上演に接して感動し,これを歌劇に作曲しはじめる。95年に一応書きあげ,ついで《ビリティスの三つの歌》(ルイ詩,1897-98),管弦楽のための《夜想曲》(1899)を書く。
1902年4月,歌劇《ペレアスとメリザンド》がオペラ・コミック座で初演された。これはヨーロッパ音楽史上の一事件であると同時に,《牧神の午後への前奏曲》から同曲にいたる道程を通じて彼の個性的な様式・書法を確立・確認させることにもなった。その様式をあえて要約すれば,技法的には旋法(教会旋法,全音音階など)に依拠して音色的契機を強く前面に押し出すことにより,機能和声法をこえて調性概念を拡張し,ひいては主題法・律動法の領域にもしだいに変革を及ぼすものであった。音色的契機を印象的契機と同一視してよければ,この様式を印象主義の名でよべるかもしれない。しかし彼の音楽では,自然(感覚)と想像力の協働が,しばしば類推によって楽想,旋律,和音を変容しつつ反復し,音像(影像)の連鎖・堆積として全体の持続を紡ぎあげてゆく。それは,音にイニシアティブをとらせながら,しかも現前する音響のかなたに想像的なものをよびさまして,〈心象の飛揚するときは“歌”成る〉(マラルメ)ような芸術であるという点で,印象主義よりも象徴主義に近い。とはいえ,自由を信条とした彼の個性的天才を一つのイスムの枠内におしこめようとするのは,結局徒労に終わる努力でしかないのかもしれない。
《ペレアスとメリザンド》のあと,ピアノ曲集《版画》(1903),《影像(イマージュ)》第1集(1905),第2集(1907),管弦楽曲《海》(1905)によって,さらに新しい進展がくりひろげられた。2度目の結婚で子どもが生まれ,ピアノ組曲《子供の領分》(1906-08)を彼に書かせる。管弦楽のための《影像》第3集(1908-12,《イベリア》を含む),歌曲集《ビヨンのバラード》(1910),ピアノのための《前奏曲集》第1集(1910)などがそれに続く。《前奏曲集》第2集(1913),秘跡劇《聖セバスティアンの殉教》の音楽(1911),バレエ曲《遊戯》(1912),《マラルメの三つの詩》(1913),ピアノのための《12の練習曲》(1915)では,いっそう新たな音響形態とその持続がたずねられ,異なる楽器の組合せによる3曲の《ソナタ》(1915-17)には,フランス的な古典主義を志向する趣きもうかがえる。こうした不断の自己更新が,19世紀末から20世紀初頭に及ぶ近代の進展の先頭を彼に切らせたばかりでなく,20世紀後半になって再認識されたほど今日の音楽を予見させもしたのであろう。全6曲を予定したソナタは,癌による死のため3曲で終わってしまった。
→印象主義
執筆者:平島 正郎
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1862~1918
印象派音楽を代表するフランスの作曲家。繊細な色彩的表現力を極度にまで発揮したピアノ曲「ベルガマスク組曲」「前奏曲集」,交響詩作品「牧神の午後への前奏曲」「海」,歌劇「ペレアスとメリザンド」などがある。
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…しかし,色彩の主観的表現を重視する高村の考え方は,表現主義的傾向が強く,印象派の導入がその後の前衛絵画運動と結びついていった日本の特殊性をよく示している。【高階 秀爾】
【音楽】
印象主義という概念を絵画から借りて音楽に適用したのは,フランスのアカデミーが,ドビュッシーの《春》(1887)の批評に用いたのが,最初だったようである。それは《春》における〈色彩性の過大評価と形式の軽視〉をアカデミーが非難するためであった。…
…最も象徴的なのはバロック時代以来西洋音楽の基盤であった調性が崩壊し始めたことであろう。それはR.ワーグナーの楽劇における半音階の多用によって,また一方ではドイツ・ロマン派の過度な感情表出に反対して外界の印象を直観的に音で形象化しようとしたドビュッシーが,教会旋法や全音音階を導入し,和音の機能的関連を否定して個々の和音の独立的な色彩価値を重要視したことによって生じた。20世紀にはA.シェーンベルクが調性を全面的に否定して無調音楽を書き,それを組織化して12音の音列技法を創始した。…
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[第1期 拍節と調性の崩壊]
20世紀初頭から第1次世界大戦までの第1期の音楽は,19世紀のロマン主義の延長線上に成立している。印象主義の作曲家ドビュッシーと表現主義の作曲家シェーンベルクは,R.ワーグナーやマーラーの後期ロマン主義から出発し,18世紀と19世紀音楽の基盤となっていた規則的な拍節構造と明確な調性構造をしだいに弱体化して崩壊に導く。すなわち,明確な中心音をもつ古典的な機能和声の法則は,自在で豊かな響きを求めるF.リストやワーグナーなど後期ロマン派の作曲家によって弱体化され,とくにワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲で崩壊寸前の状態に達していたが,ドビュッシーとシェーンベルクは,さらに機能和声の体制と規則的なリズムと拍節の構造を崩壊させたのである。…
…しかし,従来の楽器から新しい音色と奏法を引き出そうとする試みは,バイオリンの響きに斬新な魅力を付け加えている。J.S.バッハ以来とだえていたポリフォニックな書法を要求する無伴奏ソナタが,イザイエやバルトーク,ヒンデミットの手によって自由な新しい表現の場として復活する一方,従来のソナタや協奏曲では,印象派の語法と古典主義との融合を示すドビュッシー晩年のソナタ(1917)以来,バイオリンの演奏技術を作曲家独自の書法に従わせる傾向が強まった。20世紀の代表的なバイオリン協奏曲としては,十二音技法に基づきながらもバイオリンの調性的色彩を生かすことに成功したA.ベルクの協奏曲(1935)や抒情性と多彩なリズムを結びつけたS.S.プロコフィエフの二つの協奏曲(1917,35),さまざまな語法実験をみごとに統一させたバルトークの《協奏曲第2番》(1938)などを挙げることができる。…
…これを総じて古典主義的といってよかろう。そしてしばしば具象的な音楽感覚を愛し,しかも好んでその向こうに〈感受性における幻想のごときもの〉(ドビュッシー)を求めるのである。音楽と舞踏が結びつくのは,おのおのの本質からして,どの国にあっても当然認められることであるが,バレエがフランスで初めて芸術として確立され集大成された事実にみられるとおり,舞曲とそのリズムへの愛好にはなおまたフランスならではのものがある。…
…ドビュッシーの初期の代表的な管弦楽曲。ドビュッシーはこの作品で自己の作風を確立すると同時に,20世紀のオーケストラ作品の方向を決定した。…
…そのロマン主義はカトリック的神秘主義とも共通の根をもっていた。ドビュッシーがのちにひらいた独創的な音楽語法も,ワーグナーの心理的半音主義との対決を経てから生まれている。こういう全音階の復活は,マーラーにもみられるが,調性音楽の解消を目前にする後期ロマン主義の内部でも,当然の反動としてしばしば認められる。…
※「ドビュッシー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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