日本歴史地名大系 「上ヶ島村」の解説 上ヶ島村じようがしまむら 岐阜県:吉城郡河合村上ヶ島村[現在地名]河合村上ヶ島小鳥(おどり)川左岸、東は山を境に羽根(はね)村。慶長一八年(一六一三)の飛騨国郷帳では上か嶋村とあり、小鷹利(こたかり)郷に属し、高九石余。元禄五年(一六九二)の年貢割付状(西森文書)では本高九石余・古開高三五石余とあり、本途のほかに川役がある。古くから鱒が多かったと思われる。元禄検地反歩帳では高一三石余、田一町一反余・畑一町四反余。「飛騨国中案内」では免四割八分四厘余、家数七(うち百姓五・門屋二)。天明八年(一七八八)の村明細帳によれば、家数六、男一七・女一六、牛馬五、農間に男は楮・漆を取る。寛政一二年(一八〇〇)の村明細帳では家数七・人数三六。安政角川地震では八軒全部が全潰となる。 上ヶ島村うえがしまむら 富山県:婦負郡八尾町上ヶ島村[現在地名]八尾町上ヶ島水口(みなくち)村の北、野積(のづみ)川右岸にある。正保郷帳に村名がみえるが、村高などは宮下(みやのした)村などと合せて記される。元禄一一年(一六九八)の郷村高辻帳では水口村の二町ほど北にある枝村新田としてみえ、高七〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by