嶋村(読み)しまむら

日本歴史地名大系 「嶋村」の解説

嶋村
しまむら

[現在地名]南区吉祥院きつしよういん嶋〈笠井かさい町・樫山かたぎやま川原田かわらだ町・高町たかまち堤外つつみそと出在家でざいけ町・どううらなかしま西浦にしうら野間詰のまづめ町〉

北は吉祥院村石原いしはら村、東は上鳥羽かみとば村・塔森とうのもり村、南西はかつら川を境して乙訓おとくに郡と接する。

古代においては、石原郷(和名抄)に含まれたと思われる。村の前身を示した史料と思われる永正年間(一五〇四―二一)の「嶋御領」内田地の売券(大徳寺黄梅院文書)が数点残されている。その一つに、

<資料は省略されています>

とある。史料中に「嶋領之内寺家分」とみえ、中世末におけるこの地の領有関係の一端を示しているが、この「寺家」というのが、どこをさすかは明らかでない。また、現在も町名として残されている「笠井」が、中世末以来の小字名であることが判明する。

嶋村
しまむら

[現在地名]金谷町嶋

金谷河原かなやかわら町の北に位置し、大井川の右岸に立地する。天正一八年(一五九〇)の大井川瀬替え工事(天正の瀬替え)によって開かれた村で、横岡よこおか新田・牛尾うしお竹下たけした番生寺ばんしようじとともに志戸呂しとろ五ヵ村とよばれた。元和年間(一六一五―二四)に開墾が進み、代官中野七蔵は百姓一軒に屋敷分上畠三畝ずつ与えて開墾させたという(掛川誌稿)正保郷帳に村名がみえ、田方一五〇石余・畑方五一石余、幕府領、ほかに金谷宿洞善とうぜん院領七石がある。元禄郷帳では高四五一石余、幕府領(国立史料館本元禄郷帳)。宝永七年(一七一〇)相良藩領となるが(正徳二年本多忠晴領知目録)、正徳五年(一七一五)上知されたとみられ(享保二年本多忠通領知目録)、享保郷村高帳では幕府領掛川藩預地。

嶋村
しまむら

[現在地名]鳥取市嶋

野坂のさか川の下流域左岸に位置する。東の古海ふるみ村から当村を通り野坂村へ抜ける道が通る。「因幡志」によると、村名は中世の今島保に由来するとされ、また「和漢三才図会」に記載され、松島まつしま大明神(社領一五石)がある松島村は当村にあたるとも記す。今島保は建武三年(一三三六)一二月二七日の光厳上皇院宣(壬生家文書)に「因幡国々安今嶋保」とみえ、同地などが小槻(壬生)匡遠に安堵されている。永正一〇年(一五一三)六月一〇日の山名豊頼宛行状(北川家文書)によれば「野坂島村内屋敷」二ヵ所が、北河与三左衛門尉に宛行われた。

嶋村
しまむら

[現在地名]出石町嶋

鳥居とりい村の北西出石川の流域に位置し、出石城下から豊岡城下に向かう道(豊岡街道)が通る。集落は出石川の右岸、無生むしよう(約四〇メートル)の南西側と同川左岸の向嶋むかいじま地区に散在する。正保(一六四四―四八)頃成立の国絵図に村名がみえ、高三七四石余。出石封内明細帳によると拝領高四〇九石余・改出高四八石余、これらの内訳は屋敷一〇石余・麻畑一三石余・田方三六三石余・畑方七一石余、ほかに古新発高九石余・新発高六石余、家数七四・人数三一二。

嶋村
しまむら

[現在地名]西脇市嶋

津万つま町の北、加古川西岸に位置する。慶長国絵図に村名がみえる。寛永一六年(一六三九)幕府領となり(兵庫県史)、一部は延宝六年(一六七八)下総佐倉藩領、貞享三年(一六八六)相模小田原藩領となる(「大久保氏禄高調」「稲葉家引継書」小田原市立図書館蔵)。延享三年(一七四六)一村すべて三卿の一橋領となり、幕末に至る(「一橋家領知高帳」一橋徳川家文書、旧高旧領取調帳など)。正保郷帳によると田方二九七石余・畑方四九石余。延宝五年の検地帳(嶋区有文書)では高四〇五石余・反別二八町余。小物成は山手銀三〇匁余・川役銀七匁余・鉄砲役銀四匁。天明七年(一七八七)の加古川筋酒屋騒動は当村の酒造家利右衛門宅へ数百人の農民が押掛けたのが始まりという(「酒屋騒動一件」小牧家文書)

嶋村
しまむら

[現在地名]加西市嶋町

西野々にしのの村の西、中播丘陵の北東部に位置する。正保郷帳によると田方一三〇石余・畑方二九石余。初め姫路藩領、正保(一六四四―四八)頃は幕府領(正保郷帳)。享保六年(一七二一)から寛保元年(一七四一)まで幕府領・姫路藩預地(織田家文書)、宝暦二年(一七五二)から同一三年までは上野高崎藩領、文化一二年(一八一五)から文政元年(一八一八)までは相模小田原藩領、文政七年から三卿の清水領となるが、安政二年(一八五五)幕府領に戻り、慶応元年(一八六五)陸奥会津藩領となる(以上同文書)

嶋村
しまむら

[現在地名]一宮市島村しまむら

北は笹野ささの村、西は高田たかだ村に接する。熱田神宮宝物台帳には天文二〇年(一五五一)四月に納められた刀の銘に「熱田神物 尾州葉栗郡嶋住人兼松弥四郎秀吉」とある。天保村絵図によれば概高七三九石九斗余はすべて藩士一四人の給知、蔵入は見取場四反三畝歩余、田方二一町二反余・畑方三七町四反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「嶋村」の解説

嶋村

東京都中央区にある日本料理店。1850年、日本橋に仕出し店として創業。金ぷら丼(海老天丼)、錦(にしき)丼(錦糸卵の乗ったいくら丼)などが名物。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

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