上ヶ門町(読み)あげもんちよう

日本歴史地名大系 「上ヶ門町」の解説

上ヶ門町
あげもんちよう

[現在地名]岐阜市本町ほんまち

金華きんか山登山口から西に延びる戦国時代以来の本町筋の西端に位置する東西町並。北を長良川南西流し、東は七曲ななまがり町、西は岐阜町惣構堤を越えて忠節ちゆうせつ村・明屋敷あけやしき新田村に至る。岐阜町四四町の一。岐阜町の西町口にあたり、西ノ町口・上ヶ門口とも称された。長良川の船着場として栄え、荷物問屋や商店があった。寛政六年(一七九四)の町絵図に町名がみえ、長良川には自分渡と記されている。慶長年間(一五九六―一六一五)には早田そうでん村へ通じる通路があったが、河筋の変化により徒歩渡りが不可能となったため、当町の者が渡船を始め上ヶ門渡と称したという(旧岐阜市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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