日本歴史地名大系 「上久野村」の解説 上久野村かみくのむら 静岡県:袋井市上久野村[現在地名]袋井市久能(くのう)・可睡(かすい)の杜(もり)周知(すち)郡に所属。宇刈(うがり)丘陵の南西端に位置し、南流する宇刈川の下流域に立地する。南は中久野村。永禄一一年(一五六八)一二月二一日の徳川家康判物(久野文書)に「上久野」とみえ、家康は当地ほかを久野宗能と一門に与えている。天正一七年(一五八九)七月七日、徳川家は「上久野百姓等」に七ヵ条定書を交付している(「徳川家七ヵ条定書」石黒文書)。 上久野村かみくのむら 島根県:大原郡大東町上久野村[現在地名]大東町上久野下久野村の東、斐伊川の支流久野川上流域にあり、支流大谷(おおだに)川・長谷(ながたに)川・木挽谷(こびきたに)川の合流域に位置する。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳によると高五七三石余、寛文四年(一六六四)には本田高五三三石余・新田高四石余。「雲陽大数録」によれば高五〇〇石。「郡村誌」によると戸数一五五(うち社三・寺一)・人数六七〇、民業は農業七二戸・工業一二戸・商業八戸・坑業二八戸・炭焼三〇戸、物産は砂鉄九万貫目・炭五万貫目。「鉄山旧記」によると、正徳元年(一七一一)の鉄師として当村の七右衛門の名があげられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by