上今諏訪村(読み)かみいますわむら

日本歴史地名大系 「上今諏訪村」の解説

上今諏訪村
かみいますわむら

[現在地名]白根町上今諏訪

釜無川右岸に位置し、東は釜無川を隔てて八幡やはた新田(現竜王町)、南は下今諏訪村、西は西野にしの村、北は徳永とくなが村・下高砂しもたかすな(現八田村)。村内を戸田とだ街道が北東から南に走り、当村で高尾たかお(現櫛形町)に通じる道が分れる。戦国期には下今諏訪村と合せて今諏訪とよばれた。永正一七年(一五二〇)六月一〇日、今諏訪で武田信虎と大井氏・逸見氏・栗原氏との合戦があり、逸見氏は滅ぼされた(高白斎記)。「武田家日坏帳」には天正五年(一五七七)八月二三日逆修供養を行った塚原但馬守の本在所として「西郡今諏訪」とみえる。同一〇年一二月三日の徳川家印判状写(中巨摩郡志)によれば、小林助三郎は本領を安堵され、そのなかに「在家塚今諏訪西野四貫二百文」がみえる。慶長一三年(一六〇八)の番帳の三二番に「乙黒之禰宜」とともに「今諏訪之禰宜」がみえ、上今諏訪の諏訪神社神職と考えられる。勤番制は永禄四年(一五六一)に武田氏が定めたものを徳川氏が継承・再整備したものであり、当地の禰宜は徳川氏の段階になって新たに編成された。

慶長六年の検地帳(県立図書館蔵)では中田一町余・下田九反余・下々田一反余、上畑一町五反余・中畑三町六反余・下畑八町二反余・下々畑三町七反余、屋敷一千六三三坪、ほかに桑一八七束、熊蔵縄皆川成九町四反余、永不作八町八反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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