上伊方村
かみいかたむら
彦山川支流の伊方川右岸を中心とする村で、西は弁城村。東の下伊方村とともに中世の伊方庄の遺称地とされる。近世初期から伊方村としてみえ、天正一六年(一五八八)一月一九日に小倉城主毛利吉成(勝信)は「井方村」三〇〇石を家臣の田中源兵衛尉に宛行った(「毛利吉成宛行状」黄薇古簡集)。元和七年(一六二一)には岩瀬村・新城村(現添田町)および伊方村内で一千石が片岡九郎左衛門尉に宛行われており(「細川忠利知行宛行状」片岡文書)、うち伊方村は六七七石余(「片岡九郎左衛門尉知行目録」同文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 