上原げんと(読み)ウエハラ ゲント

20世紀日本人名事典 「上原げんと」の解説

上原 げんと
ウエハラ ゲント

昭和期の作曲



生年
大正3(1914)年12月28日

没年
昭和40(1965)年8月13日

出生地
青森県木造町

本名
上原 治左衛門

別名
別名=上原 絃人

学歴〔年〕
木造中〔昭和7年〕卒,東洋音楽学校中退

経歴
生家が蓄音機店だったので幼い頃から音楽になじみ、独学ギター、作曲を学ぶ。昭和9年上京、ギターの流しを経て、13年キングレコードに入社。14年「国境の春」(歌は岡晴夫)でデビューし、「上海の花売娘」の大ヒットで作曲家として認められる。以後、岡晴夫と組んで「港シャンソン」「東京の花売娘」「あんこ可愛いや」など一世を風靡する曲を連発した。26年日本コロムビアに移籍。他の代表作に「港町十三番地」「逢いたいなァあの人に」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上原げんと」の解説

上原げんと うえはら-げんと

1914-1965 昭和時代の作曲家。
大正3年12月28日生まれ。作曲とギターを独習。昭和14年岡晴夫とのコンビで「国境の春」でデビュー。「上海の花売娘」が大ヒットした。22年の「東京の花売娘」をはじめ「港町十三番地」「逢いたかったぜ」などがある。昭和40年8月13日死去。50歳。青森県出身。本名は治左衛門。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「上原げんと」の解説

上原 げんと (うえはら げんと)

生年月日:1914年12月28日
昭和時代の作曲家
1965年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android