上地山村(読み)こうちやまむら

日本歴史地名大系 「上地山村」の解説

上地山村
こうちやまむら

[現在地名]山陽町上仁保かみにぼ

上仁保村から東の上地山に寄った村。貞治三年(一三六四)二月三日の葛木氏子孫掟書(黄薇古簡集)鳥取ととり山口やまぐち方の四至に「かうち山」とみえる。中世の地蔵院領を中心に成立した村で、文禄四年(一五九五)には宇喜多秀家により上地山一〇石が寺領として認められている(同年一二月「備前国四拾八ヶ寺領并分国中大社領目録写」金山寺文書)

慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)葛木かつらぎ庄に上地山村とみえる。「吉備温故秘録」は鳥取ととり庄の村とする。寛永備前国絵図では高一七石余。貞享元年(一六八四)の赤坂郡高目録(池田家文庫)によると慶長九年検地があり、高一九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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