日本歴史地名大系 「上多田村」の解説 上多田村かみただむら 栃木県:安蘇郡田沼町上多田村[現在地名]田沼町多田(ただ)、葛生(くずう)町山菅(やますげ)秋山(あきやま)川右岸の段丘上と御榊(みさかき)沢の流域を占め、西は船越(ふなこし)村・戸室(とむろ)村、東は都賀(つが)郡葛生町、南は下多田村、北は都賀郡田名網(たなあみ)村(現葛生町)。近世初頭多田村が上下に分村して成立したという。当地一帯は「和名抄」高山寺本安蘇郡談多(たみた)郷の遺称地とする説もあるが不詳。元亀二年(一五七一)八月六日の大庵寺々領目録(大庵寺文書)に「多田郷之内 あみた免 多田分田一段 六百 作人」とある。天正一五年(一五八七)六月一一日の佐野氏忠定書(本光寺文書)では多田郷のうち一二貫二〇〇文が本光(ほんこう)寺領となった。 上多田村かみただむら 栃木県:安蘇郡葛生町上多田村[現在地名]葛生町山菅(やますげ)、田沼(たぬま)町多田(ただ)安蘇郡に属し、東は中(なか)村・都賀(つが)郡葛生町、西は船越(ふなこし)村(現田沼町)、南は下多田村(現同上)。下谷(したや)・山(やま)ノ内(うち)・松(まつ)ヶ沢(さわ)付近を境に稜線東側の山菅(山菅坪)分のみ現葛生町で、ほかは現田沼町。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by