上子安村・下子安村(読み)かみこやすむら・しもこやすむら

日本歴史地名大系 「上子安村・下子安村」の解説

上子安村・下子安村
かみこやすむら・しもこやすむら

[現在地名]伊勢原市子易(こやす)

大山の東南の山麓にあり、西は坂本(さかもと)村、東は上糟屋(かみかすや)村に接する。中央を西から東へ大山川が流れ、大久保(おおくぼ)川・仁(に)ヶ久保(くぼ)川・丹沢(たんざわ)川が合流する。小田原道・大山道が通り、大山道の人馬継立を行った。

永正一六年(一五一九)四月二八日の宗瑞(伊勢長氏)箱根領注文(県史三)に「五くわん文但いのとしの納分しらね小やす」とある。慶長一五年(一六一〇)七月一七日の徳川家康黒印状写(相州古文書)によれば、大山寺別当八大(はちだい)坊に「子安内弐拾七石余」が寄進されている。正保国絵図に「子易」、寛文年間(一六六一―七三)の相模国大住淘綾愛甲三郡高帳(県史六)には「子安」とみえ、元禄郷帳には「上子安村」「下子安村」と分れて記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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