上岩橋村(読み)かみいわはしむら

日本歴史地名大系 「上岩橋村」の解説

上岩橋村
かみいわはしむら

[現在地名]酒々井町上岩橋・東酒々井ひがししすい

中川なかがわ村の東、印旛沼東岸に位置し、村内を中川が西流する。中央を成田道が通る。道沿いの通称ぼつさき(卜杭崎)は間の宿で水茶屋・旅籠などがあった。もと同地三差路にあった延享三年(一七四六)の追分不動道標には「従是成田山道」「左方かし通りなめ川みち」と刻まれている。中世印東いんとう庄のうちで、下岩橋も含めた一帯石橋(石橋郷)と称された。平安時代末期の下総国印東荘郷司村司交名(醍醐寺本醍醐雑事記七・八裏文書)に「石橋苅田成家」とみえ、当地の郷司・村司は苅田氏であった。金沢文庫蔵の「倶舎論抄宗要集」奥書によると正嘉元年(一二五七)一二月四日、「印東庄石橋郷」で良聖が書写している。当地は千葉氏の拠点で、「千学集抜粋」によれば馬場胤依の子輔胤は千葉宗家を継承する以前は岩橋殿と尊称された。同書には千葉勝胤の五男公弁も岩橋殿とあり、千葉大系図には輔胤三男の成身院が岩橋と記される。

慶長九年(一六〇四)八月の検地帳(木村家文書・上岩橋区有文書)には印東庄佐倉領上岩橋郷とあり、屋敷数三七(反別七反余)、うち明屋敷三で当時幕府領であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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