上張村
あげはりむら
[現在地名]掛川市上張・緑ヶ丘一―二丁目
掛川城下の木町・新町の南に位置し、村内を秋葉街道が通る。血脈衆(乾坤院蔵)によると、文明一六年(一四八四)四月八日の尾張国乾坤院(現愛知県東浦町)で行われた仏誕生日の授戒会に「上張」の妙貞が列席している。永禄一二年(一五六九)五月、徳川家康は懸河城(掛川城)防衛の功に対し松平清宗に上張村などを与えている(家忠日記増補追加)。文禄二年検地高目録に「上張村」とみえ、高五九〇石余。元和五年(一六一九)以降は掛川藩領。正保郷帳では田方五三一石余・畑方七〇石余、ほかに大日寺(現曹洞宗)領三石、長久院領一石・瑞龍寺(ともに曹洞宗、現廃寺)領三石がある。旧高旧領取調帳では掛川藩領六一五石余、大日寺除地三石・瑞龍寺除地三石・長久院除地一石。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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