掛川宿
かけがわしゆく
[現在地名]掛川市掛川・中町・連雀・仁藤町・仁藤・喜町・塩町・肴町・紺屋町・下俣・中央二丁目・十九首
東海道五十三次の江戸から二六番目の宿場。掛川城下の町人町にあたる。北は逆川を境に掛川城の城域に接し、東は仁藤村・増田村、南は総構えの堀を隔てて上張村・亀甲村・南西郷村など、西は大池村。「掛川誌稿」に掛川駅とみえる。二五番目の日坂宿へ一里二九町、二七番目の袋井宿へ二里一六町(宿村大概帳)。当町は一三町からなり、東西に走る往還沿いに東より新町・木町・仁藤町・連尺町・中町・西町・下俣町・十九首町があり、往還南側の裏町として東より塩町・肴町・紺屋町・研屋町、西町の北側に瓦町がある(「掛川誌稿」、享保頃「掛川城及城下之図」静嘉堂文庫蔵など)。以上の町並は町名こそみえないが、正保城絵図段階ですでに町屋として形成されている。なお明治五年(一八七二)の掛川宿明細帳(鈴木家文書)では、仁藤町内の笠屋町と西町内の十王町を合せ当宿は一五町とされている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の掛川宿の言及
【掛川[市]】より
…人口7万6839(1995)。東海道の要所にあり,市域には古くから掛川宿,[日坂](につさか)宿が置かれた。中心市街の掛川は城下町でもあり,商業が栄え,特産品として葛布(かつぶ∥くずふ)が生産された。…
※「掛川宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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