日本歴史地名大系 「上曾我屋村」の解説 上曾我屋村かみそがやむら 岐阜県:岐阜市旧方県郡・本巣郡地区上曾我屋村[現在地名]岐阜市曾我屋(そがや)寺田(てらだ)村の北方に位置し、北の川部(かわべ)・又丸(またまる)村境に河渡(ごうど)輪中の横小堤がある。普通は南の下曾我屋村とともに一村として把握され、郷帳類にも曾我屋村で高付されている。古くは曾我部とも称され、応安六年(一三七三)九月二日の金剛頂経開題(室生院蔵)に「曾我部郷」とみえ、同郷浄瑠璃院の「常経」を変更している。天正一〇年(一五八二)一月、織田信孝は「そかや長願寺」に禁制を下している(「織田信孝禁制」超宗寺文書)。関ヶ原の合戦直前の慶長五年(一六〇〇)八月に池田輝政が「そかや」に(「池田輝政判物」同文書)、また九月二日には福島正則と連署で「かたかたこうりのうち そかや村」に禁制を下している(「福島正則・池田輝政連署禁制」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by