上有知庄(読み)こうずちのしよう

日本歴史地名大系 「上有知庄」の解説

上有知庄
こうずちのしよう

現在の美濃市街を中心に平安後期より存在した庄園。「和名抄」にみえる武藝むげ郡九郷のうちの有知うち郷の北部に成立したと考えられ、当初は「かみうち」と称されていたらしい。上有智とも記す。長寛元年(一一六三)頃と推定される美濃国諸庄未進注文(兵範記裏文書)に「上有知内絹三十疋」とみえる摂関家領、注進者は庄官の頼賢であった。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録(近衛家文書)鷹司院(藤原長子)領として「京極殿領内上有智庄」が記載され、「カンウチ」と訓じている。京極殿(藤原師実)のときに摂関家領となったもので、その後、鷹司家領となったと思われ、弘安元年(一二七八)には地頭との紛争があったらしい(同二年八月日「東大寺重申状土代」東大寺図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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