朝日日本歴史人物事典 「上木甚兵衛」の解説
上木甚兵衛
生年:正徳4?(1714)
江戸中期の義民。飛騨(岐阜県)大野郡一色村の三島家に生まれ,高山町上木家の婿となる。安永の大原騒動(1773)で幕府の検地政策に反対して,高山町の町人としてはただひとり伊豆新島に遠島の刑に処せられた。次男三島勘左衛門は父甚兵衛が病で倒れたと聞き,寛政3(1791)年新島に渡って看病に当たった。死後文政9(1826)年御赦となる。新島に「ひんだんじい」と呼ばれる墓が残っている。甚兵衛の在島24年間と勘左衛門在島10年間に故郷との間に交わされた書状百余通や勘左衛門新島滞在中の著作『新島追慕編』などの史料が残されている。<参考文献>大原騒動刊行会編『図説大原騒動』
(小椋喜一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報