上本町筋八丁目寺町(読み)うえほんまちすじはつちようめてらまち

日本歴史地名大系 「上本町筋八丁目寺町」の解説

上本町筋八丁目寺町
うえほんまちすじはつちようめてらまち

[現在地名]天王寺区上本うえほん町四―五丁目、南区上本うえほん西にし四―五丁目

単に八丁目寺町ともいう。上本町筋の東・西に南北に連なる。浄土宗一三寺で構成。天正年中(一五七三―九二)大福だいふく寺・念仏ねんぶつ寺・実相じつそう寺・天性てんしよう寺・大念だいねん寺・誓願せいがん寺・西光さいこう(大念寺以下現南区)が成立して寺町ができた(蓮門精舎旧詞)。「言経卿記」天正一四年正月一八日条に「大坂誓願寺へ参詣了」とあるので誓願寺はこれ以前に成立していたことがわかる。文禄三年(一五九四)には源光げんこう(現南区)光明こうみよう寺、文禄年中に長楽ちようらく寺・専念せんねん(現同上)が成立し、寺町形成はほぼ完了。慶長二年(一五九七)西念さいねん(のちの正念寺)、元和年中(一六一五―二四)白雲はくうん(現同上)が成立した(蓮門精舎旧詞)


上本町筋八丁目寺町
うえほんまちすじはつちようめてらまち

[現在地名]南区上本うえほん西にし四―五丁目、天王寺区上本うえほん町四―五丁目

単に八丁目寺町ともいう。札之辻ふだのつじ町の南に続く上本町筋の両側に南北に連なる。豊臣秀吉の城下町建設に伴い形成された寺町の一(天王寺区の→寺町。浄土宗一三寺で構成され、上町筋東側の寺は現天王寺区、西側の寺は現南区に所属。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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