上村城跡(読み)かみむらじようあと

日本歴史地名大系 「上村城跡」の解説

上村城跡
かみむらじようあと

[現在地名]豊田市上郷町 藪間

「碧海郡誌」によると、城域二千五〇〇坪余とある。上野うえの城ともよぶ。一五世紀中頃、高橋たかはし庄司中条氏の被官衆戸田氏が勢力を拡大した拠点で、近世上野雑抄によれば、寛正六年(一四六五)の「親元日記」に「十田弾正左衛門」として戸田宗光の名がみえる。伊勢氏の被官でもあった戸田氏は、国人一揆鎮圧の任を負っていた。

天文四年(一五三五)松平清康家臣に殺された守山崩れの時には、上村城に桜井さくらい(現安城市)松平信定が在城した。同一五年の上野城合戦では「清定又降服す、広忠君清定をして桜井に蟄居せしめ将監をして上野城を守らしむ」(武徳大成記)とあり、信定の子清定が松平広忠に敗れた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上村城跡の言及

【上[村]】より

…農林業が基幹産業で,米,タバコ,ナシの栽培,畜産などが盛んであり,杉,ヒノキの良材を産し,シイタケ,ワサビを特産物としている。谷水薬師堂や人吉城の外城の一つで上村氏が1557年(弘治3)まで居城とした上村城跡,連房式の登窯の遺構である上村窯跡などがある。【松橋 公治】。…

※「上村城跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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