上松本村
かみまつもとむら
[現在地名]紫波町上松本
滝名川支流の沢内川左岸の広大な山間地と東部山麓の平坦地を占める。南は鱒沢村、東は吉水村、西は山を挟み岩手郡安庭村(現雫石町)、北は小屋敷村。正保国絵図には松本村とみえ、高二八五石余。下松本村と一村をなしていた。天和二年(一六八二)の惣御代官所中高村付では上松本村とあり、蔵入高六六〇石余、七ヵ年平均の免四ツ七分三厘八毛で、上下二村に分村している。
上松本村
かみまつもとむら
[現在地名]天栄村上松本
下松本村の西、釈迦堂川上流域の丘陵に立地。高林村から牧之内村へ通じる街道に沿う。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に上松本とみえ、高九〇九石余。白河古領村郷高帳では高一千三四石余。安永二年(一七七三)の白河郡村々細見記(加藤家文書)では反別田四一町八反余・畑一七町四反余、ほかに新田高四石余、免七ツ二厘、家数八九(高持七五・無高一二・寺二)。「白河風土記」によれば本村のほか七の端郷があり、家数は本村一八、端郷の日向屋敷四・男神屋敷六・荒井九・荒屋敷一〇・戸野内二一・竹内五・板屋一〇。
上松本村
かみまつもとむら
[現在地名]三島市松本
狩野川の支流境川東岸に位置し、北は平田村。中世松本郷に含まれた。天正一八年(一五九〇)一〇月二三日の君沢郡本松本邑検地帳(三島市郷土資料館蔵)によれば本松本村の高二八三石余。元禄郷帳の上松本村の高と同高なので、本松本村は当村にあたるか。江戸時代当初は幕府領、天保年間(一八三〇―四四)以降は相模小田原藩領として幕末に至る(韮山町史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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