日本歴史地名大系 「牧之内村」の解説 牧之内村まきのうちむら 福島県:岩瀬郡天栄村牧之内村[現在地名]天栄村牧之内上松本(かみまつもと)村の西、釈迦堂(しやかどう)川上流の丘陵と山地に立地。上小屋(かみごや)村(現大信村)から長沼(ながぬま)村(現長沼町)へ至る白河街道が通り、村内児渡(にど)に宿駅が置かれた。村境の早坂(はやさか)峠は近世白河藩と長沼藩の境界で、「従是南白河領」との標が残る。なお児渡で分岐し、原町(はらまち)・矢中(やなか)・惣五郎内(そうごろううち)・滝田(たきだ)の集落を経て江花(えばな)村(現長沼町)に出る道もよく利用された。滝田で西に折れ羽鳥(はとり)村へ出る道もあった。竜生(りゆうい)にある青龍(せいりゆう)寺は寺蔵棟札に「岩瀬郡牧之内村大永山聖竜寺」とみえ、天正八年(一五八〇)六月新国上総守(貞通)によって造立されている。 牧之内村まきのうちむら 鹿児島県:揖宿郡頴娃町牧之内村[現在地名]頴娃町牧之内郡(こおり)村の北西に位置し、西は御領(ごりよう)村、南西は海に面する。庄屋役所が芝浦(しばうら)にある。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳に村名がみえ、高一千五二八石余。元禄一一年(一六九八)の頴娃村里改帳(県立図書館蔵)では高九五五石余、衆中人躰六、衆中屋敷一〇ヵ所、竈数は衆中八・百姓二一四。「三州御治世要覧」によると、延享(一七四四―四八)頃の高一千三四一石余。文政七年(一八二四)の頴娃郷旧跡帳(県立図書館蔵)によれば高一千六六五石余、人家・人数は郷士二三竈・一〇四人、寺二竈・一人、百姓三三二竈・二千三三三人。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報