上津浦城跡(読み)こうつうらじようあと

日本歴史地名大系 「上津浦城跡」の解説

上津浦城跡
こうつうらじようあと

[現在地名]有明町上津浦

城山しろやまとよばれる二つの丘陵上にある。一つは独立丘、他の一つは連丘の末端部にあたり、背後堀切が確認される。遺構内から一四―一六世紀頃の青磁画花文碗片・細蓮弁文碗片が出土。付近には天草最大の鎌倉期五輪塔(全高一六三センチ)が残る。

慶安四年(一六五一)の肥後国大道小道等調帳(県立図書館蔵)に「上津浦古城 山城曲輪三百九拾間、右之古城より上津浦村迄一町三拾間」とみえ、「国志草稿」に「上津浦氏数代在居セリ」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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