日本歴史地名大系 「上浅羽村・下浅羽村」の解説 上浅羽村・下浅羽村かみあさばむら・しもあさばむら 埼玉県:坂戸市上浅羽村・下浅羽村[現在地名]坂戸市浅羽・浅羽野(あさばの)・花影町(はなかげちよう)・泉町(いずみちよう)・三光町(さんこうちよう)・中富町(なかとみちよう)・緑町(みどりちよう)、鶴ヶ島市羽折町(はおりちよう)粟生田(あおうだ)村の南西にあり、東は坂戸村。西岸を高麗(こま)川が北東流する。「和名抄」記載の入間(いるま)郡麻羽(あさは)郷の遺称地とされる。「万葉集」巻一一には「紅の浅葉の野らに刈る草の束の間も吾を忘らすな」の一首があり、この歌を刻んだ記念歌碑が建つ万葉遺跡浅羽野は県指定旧跡。児玉党の浅羽氏の名字の地とされ、中世には高麗川流域に浅羽郷が成立した。近世前期には浅羽村とよばれ、北西越辺(おつぺ)川沿いの北浅羽村に対し、南浅羽村とも称された。寛永二年(一六二五)九月、大久保新八郎(康村)は南浅羽村四七石を宛行われた(記録御用所本古文書)。田園簿では田三二六石余・畑二三二石余、幕府領(計七四石余)・旗本高林領(二四〇石余)・同石野領(一六六石余)・同大久保領(四七石)・同朝比奈領(三〇石余)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by