上海瀬村
かみかいぜむら
[現在地名]佐久町大字海瀬 川窪・畑中・一の渕・館・向原
茂来山の支脈が南方からしだいに高さを減じて標高八三〇メートル前後の北に緩傾斜する段丘を形成し、その段丘崖下(七八〇メートル)を抜井川が西流し、東北方から余地川がこれに合流して、北方山地との間に扇状地形の盆地を形成している。上海瀬村はこの抜井川北方の平坦地と、南方の段丘面にわたる。
東は三味が渕の狭隘部をもって大日向村と、その北方、東から張り出した尾根の末端付近で余地村と接し、西は親沢川と抜井川合流点付近で海瀬新田村と境し、北は尾根境に平林村と、南は下海瀬村及び崎田村(現八千穂村)・小海村(現小海町)と山嶺をもって境する。
永禄三年(一五六〇)武田信玄が上州南牧谷の市川衆に与えた地の中に「小田切高野町百弐拾貫・蓬田・桑山八拾貫之処右馬助 海瀬三分百三拾貫、崎田七拾貫之処右近助出置候」(市川育英氏蔵文書)とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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