日本大百科全書(ニッポニカ) 「田野口藩」の意味・わかりやすい解説
田野口藩
たのぐちはん
江戸中期以後、三河(みかわ)国加茂・額田(ぬかた)両郡(愛知県)と信濃(しなの)国佐久(さく)郡(長野県)に1万6000石を領有した譜代(ふだい)藩。藩居所の移動により大給(おぎゅう)(加茂)、奥殿(おくどの)(額田)、田野口(佐久)、竜岡(たつおか)(佐久)と藩名が変わった。大給藩祖松平真次(まさつぐ)から4代目の乗真(のりざね)のとき1704年(宝永1)に、上方支領の替え地として佐久郡1万2000石を領し、また本拠を奥殿に移した。佐久領は初め三塚(みちづか)村、ついで田野口村に陣屋を設けて支配した。11代乗謨(のりかた)は若年寄(わかどしより)、陸軍奉行(ぶぎょう)、老中格、陸軍総裁を歴任、1863年(文久3)本拠を奥殿から田野口村に移し、さらに同村内に箱館と並ぶ五稜郭(ごりょうかく)城として知られる竜岡城を築き、1867年(慶応3)にこれを藩庁とした。71年6月廃藩置県を待たず廃藩、信濃国内の領地は中野県に属し、のち長野県に編入。
[古川貞雄]