上田公鼎(読み)うえだ こうてい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上田公鼎」の解説

上田公鼎 うえだ-こうてい

1802-1841 江戸時代後期の医師。
享和2年生まれ。上田及淵(しきぶち)の養父。はじめ漢方,のち蘭方眼科をまなび,両者をとりいれた眼科療法を創案。その説は死後弟子の安田玉海によって「眼科一家言」としてまとめられた。天保(てんぽう)12年6月5日死去。40歳。肥後(熊本県)出身。名は体。号は椿年。著作に「上田家眼目篇」「眼科明鏡」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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