上田原古戦場
うえだはらこせんじよう
[現在地名]上田市大字上田原・大字下之条一帯
天文一七年(一五四八)二月甲斐の武田晴信と、信濃の村上義清が激戦を展開した小県郡上田原村・同下之条村一帯にわたる古戦場。
武田晴信は二月二日甲府を出馬、大門峠を越え、砂原峠を経て、上田原村南方の倉升山麓に陣を据えたと伝える(高白斎記)。今この辺りに小字陣ヶ入・御陣ヶ原・兵粮山・相図山・鉦ヶ窪・物見山などの地名を残している。坂木葛尾城(現埴科郡坂城町)の本拠を出馬した村上義清の軍は、上田原村の北方千曲川に近い天白山を背に布陣したと伝える(小県郡年表)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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