村上義清(読み)むらかみよしきよ

改訂新版 世界大百科事典 「村上義清」の意味・わかりやすい解説

村上義清 (むらかみよしきよ)
生没年:1501-73(文亀1-天正1)

戦国時代武将。顕国の子で,信濃国埴科郡葛尾(かつらお)城主。1540年(天文9)武田信虎を撃退し,48年には上田原で晴信(信玄)の軍を破り,諏訪に出兵して武田氏の侵入を防いだが,53年4月信玄に葛尾城を攻略され,のち越後の長尾景虎上杉謙信)を頼った。謙信はしばしば信玄と戦ったが,ついに義清の本領復帰はならなかった。義清は謙信の配下となり,越後で没した。
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関連語 正治

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上義清」の解説

村上義清 むらかみ-よしきよ

1501-1573 戦国時代の武将。
文亀(ぶんき)元年生まれ。信濃(しなの)(長野県)葛尾(かつらお)城主。北信濃を支配し,天文(てんぶん)17年(1548),19年の2度にわたり武田信玄の侵攻軍をやぶったが,22年城を脱出して上杉謙信をたよる。これを契機に5度にわたる川中島戦いがおこった。元亀(げんき)4年1月1日死去。73歳。

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世界大百科事典(旧版)内の村上義清の言及

【村上氏】より

…このため満信は信濃国人を糾合して守護使の入部を拒み,大塔(おおとう)(現,長野市篠ノ井)の地で守護軍を破った。 この戦い以後村上氏は信濃国守護と対抗しうる勢力を有し,応仁・文明の乱(1467‐77)を経,村上義清の代に至り,戦国大名への道を歩みはじめた。1541年(天文10)義清は小県(ちいさがた)郡の中央に勢力があった海野氏を攻略し,小県郡へ進出した。…

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