改訂新版 世界大百科事典 「村上義清」の意味・わかりやすい解説
村上義清 (むらかみよしきよ)
生没年:1501-73(文亀1-天正1)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…このため満信は信濃国人を糾合して守護使の入部を拒み,大塔(おおとう)(現,長野市篠ノ井)の地で守護軍を破った。 この戦い以後村上氏は信濃国守護と対抗しうる勢力を有し,応仁・文明の乱(1467‐77)を経,村上義清の代に至り,戦国大名への道を歩みはじめた。1541年(天文10)義清は小県(ちいさがた)郡の中央に勢力があった海野氏を攻略し,小県郡へ進出した。…
※「村上義清」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...