日本歴史地名大系 「上田所村」の解説 上田所村かみたどころむら 島根県:邑智郡瑞穂町上田所村[現在地名]瑞穂町上田所下田所村の西、出羽(いずわ)川の源流域の山間に立地。高水(こうずい)川、田(た)ノ迫(さこ)川と中谷(なかたに)川などの谷水を集める小林(こばやし)川と大草(おおくさ)川(ともに出羽川支流)の谷間に道明(どうみよう)・田ノ迫・小林・三坂(みさか)・中の原(なかのはら)・大原(おおばら)の六集落がある。江戸初期に田所村が上・下に分離、下田所村に対し上田所村あるいは田所村といった。正保四年(一六四七)の古田領郷帳に上田所村とみえ、高三一一石余、免五ツ。宝永石見国郷村帳には田所村とあり、高三八一石余。地内の谷々には野々谷(ののだに)・大檜(おおびのき)・越(こし)ヶ谷(たに)・青松(あおまつ)・田の迫・玉田(たまた)・立岩(たついわ)など約五〇の鉄滓を残した鑪跡がある。地内の山に砂鉄採集のための鉄穴溝(鉄穴流しの鉄穴場)が多く残る。 上田所村かみたどころむら 熊本県:上益城郡矢部町上田所村[現在地名]矢部町田所(たどころ)東は横野(よこの)村、南は下田所村に接し、南東を大矢(おおや)川が流れる。応仁(一四六七―六九)頃とされる男成宮社頭注文(男成文書)に「上田所」とあり、「大むき五升、小むき三升、ふゆあわ米六升」を祭礼に際して供しており、天文一二年(一五四三)の土貢済物注文写(同文書)にも麦を「かミ田所より六しう」納めるとみえる。また前掲両文書にみえる「糸おはら」「いとうはら」は近世には小村となった糸尾原のことで、文明二年(一四七〇)には軍陣夫を徴せられる男成(おとこなり)郷六ヵ村のうちに「いとうのはらの村」とある(同年二月一〇日「丹田水惟世奉書」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by