日本歴史地名大系 「上砂村」の解説 上砂村かみいさごむら 千葉県:八街市上砂村[現在地名]八街市上砂砂村の南に位置し、東・南・西の三方は小間子(おまご)牧。もとは砂村と一村であった。砂村が佐倉藩領と旗本阿部領に分れたとき、阿部氏が佐倉藩領と区別するため、上の文字を冠し上砂村にしたという(八街町史)。阿部氏が領主となるのは寛永二年(一六二五)なので(寛政重修諸家譜)、砂村との分村も同年か。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳に上砂子組として村名がみえる。元禄一一年(一六九八)まで阿部領で、一時幕府領を経て、同一二年から旗本戸田領となり、戸田領印旛(いんば)五ヵ村に属した。元禄郷帳では高二二四石余で、以後変わらず。 上砂村かみずなむら 埼玉県:比企郡吉見町上砂村[現在地名]吉見町上砂中曾根(なかぞね)村の東、荒川右岸の低地に位置する。北から東は荒川を隔てて足立郡、南は本沢(ほんざわ)村など。集落は荒川の自然堤防上に発達する。地内には応永一九年(一四一二)・文明一三年(一四八一)の板碑がある。小田原衆所領役帳では松山衆の狩野介の所領のうちに吉見郡「上須奈」三七貫文があり、弘治元年(一五五五)に検地が行われている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by