上箇村(読み)あげむら

日本歴史地名大系 「上箇村」の解説

上箇村
あげむら

[現在地名]養父町上箇

小城こじよう村の西、大屋おおや川の左岸(一部右岸)に位置する。南は広谷ひろたに村、南東上野うえの村。文禄四年(一五九五)出石いずし(現出石町)に入部した小出吉政(のちに出石藩主)の所領となる。慶長一八年(一六一三)出石藩主小出吉英の和泉岸和田藩主就任に伴い岸和田藩領となり、元和五年(一六一九)吉英が出石藩に再封になると同藩領に復した。延宝元年(一六七三)小出英安が出石藩主となった際に弟英直に一千五〇〇石を分知、このとき当村の一部が英直家(土田小出家)領となり、同領で幕末に至った。残る出石藩領分は元禄九年(一六九六)に出石藩小出家が無嗣絶家となった際にいったん収公されたが、翌一〇年に松平(藤井)忠周が武蔵国岩槻いわつき(現埼玉県岩槻市)から移って出石藩主に就任すると、再度出石藩領となり、嘉永四年(一八五一)幕府領となった(「小出氏系譜」山田家文書、慶長一八年「小出吉英所領目録」金井文書、「寛文朱印留」、「御用部屋日記」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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