日本歴史地名大系 「上細谷村」の解説 上細谷村かみほそやむら 愛知県:豊橋市上細谷村[現在地名]豊橋市細谷(ほそや)町下細谷村の西に続き、遠州灘に面する。中世は、下細谷村と同じく、細谷郷・細谷御厨の故地。近世は、延宝七年(一六七九)まで幕府領。ついで鳥羽藩領となり、享保一一年(一七二六)幕府領に復して明治に至る。明治一一年(一八七八)下細谷・小島(こじま)・寺沢(てらざわ)・東西七根(ななね)・小松原(こまつばら)の村々と合併して五並(いなみ)村となる。同一七年再びもとに復する。 上細谷村かみほそやむら 埼玉県:比企郡吉見町上細谷村[現在地名]吉見町上細谷松崎(まつざき)村の南に位置し、集落は同村と同じ旧荒川自然堤防上に南北に長く展開している。本村の南東方、古名(こみよう)村の近辺に持添新田がある。地内には弘長二年(一二六二)・嘉暦三年(一三二八)・康安二年(一三六二)の板碑がある。田園簿によれば田高一五三石余・畑高七七石余、幕府領。元禄郷帳では高三七五石余、国立史料館本元禄郷帳では旗本近藤領。「風土記稿」などによると、近藤領となったのは享保年中(一七一六―三六)のことで、また持添新田は幕府領のままであったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報