日本歴史地名大系 「上花輪村」の解説
上花輪村
かみはなわむら
野田町の南、江戸川の左岸に位置する。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分に村名がみえ、古くは花輪村と称していたとの注記がある。高五一一石余で、幕府領。天保郷帳では高四〇五石余。旧高旧領取調帳でも同高で、幕府領。延享四年(一七四七)水戸道
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
野田町の南、江戸川の左岸に位置する。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分に村名がみえ、古くは花輪村と称していたとの注記がある。高五一一石余で、幕府領。天保郷帳では高四〇五石余。旧高旧領取調帳でも同高で、幕府領。延享四年(一七四七)水戸道
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