日本歴史地名大系 「上街道」の解説 上街道かみかいどう 宮城県:栗原郡上街道中世、松山(まつやま)道と称したと伝える道筋で、奥州街道より西にあり、奥州街道が整備される以前は、主街道として利用されていたものと思われる。慶長六年(一六〇一)の伊達政宗による、玉造(たまつくり)郡岩出山(いわでやま)(現岩出山町)から登米(とめ)や国分(こくぶ)(宮城郡)への伝馬制の整備は、この道筋につながるものであろう。松山道の初見は平安末期成立という「陸奥話記」で、次いで「吾妻鏡」文治五年(一一八九)八月二一日条に「一品経松山道、到津久毛橋給」とあり、奥州合戦で源頼朝軍が同道を北上したことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
世界大百科事典(旧版)内の上街道の言及 【上ッ道・中ッ道・下ッ道】より …これら3道の道沿いには,国府・郡家(ぐうけ)が想定でき,古社寺も分布している。近世に至り,上ッ道と下ッ道にほぼ並行して,上街道,中街道ができた(中ッ道に並行する街道はない。また,下街道は,大和高田から御所に向かう道で,下ッ道とは無関係)。… ※「上街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」 Sponserd by