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奥州街道 おうしゅうかいどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

奥州街道
おうしゅうかいどう

江戸時代の五街道の一つ。奥州道中ともいう。また,奥羽街道陸羽街道ともいう。江戸日本橋から草加 (そうか) ,古河 (こが) ,宇都宮白河郡山二本松,福島,仙台,一ノ関,花巻,三戸,浅虫を経て青森にいたるまでの宿駅 69次の街道。諸説があるが,厳密には宇都宮までの日光街道を除く。 37大名がこの街道を通行し,幕末には蝦夷地開拓などの理由により,特にその重要性を増した。明治以降,陸羽街道と呼ばれ,ほぼ国道4号線にあたる。

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デジタル大辞泉の解説

おうしゅう‐かいどう〔アウシウカイダウ〕【奥州街道】

江戸時代の五街道の一。江戸千住(せんじゅ)から白河に至る街道。その延長の陸奥(むつ)三厩(みんまや)までを含めていうこともある。奥州道中。

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百科事典マイペディアの解説

奥州街道【おうしゅうかいどう】

奥州道中

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世界大百科事典 第2版の解説

おうしゅうかいどう【奥州街道】

中世の陸奥の主要幹線道路。古代の陸奥国の幹線的官道は,下野国から白河関をこえて陸奥国に入り,陸奥国を縦に貫く道である(東山道)。そのコースは,中世にも〈奥大道〉などと呼ばれて,基本的に変わることなく受けつがれた。それはまず阿武隈川の谷を北上し,宮城・福島県境の厚樫(あつかし)山(阿津賀志山)をこえて国府の多賀城に達し,そこからは奥羽山脈東麓を北上して平泉に出,北上川沿いに北進して蝦夷地に達する。この道は太平洋岸の菊多関(のち勿来関(なこそのせき))および久慈川の谷を通って常陸国に出る二つの枝道と,宮城・山形県境の笹谷(ささや)峠をこえて出羽国に連絡する枝道を持ち,22の駅(うまや)を設けていた。

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大辞林 第三版の解説

おうしゅうかいどう【奥州街道】

江戸時代の五街道の一。江戸千住から宇都宮までは日光街道を通り、白河に至る。奥州道中。広義には、さらに北に向かい陸奥国三厩みんまやに至る街道をさす。

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国指定史跡ガイドの解説

おうしゅうかいどう【奥州街道】


岩手県二戸(にのへ)郡一戸(いちのへ)町、岩手郡岩手町にある街道跡。徳川家康は、江戸を中心に街道を利用して全国各地をつなぐ宿駅伝馬制を設け、1601年(慶長6)に東海道に、翌年には中山道と奥州街道に同制度を敷き、1604年(慶長9)からは街道沿いに一里塚を造営させた。このうち奥州街道は、参勤交代や物資の輸送など、江戸と東北とを結ぶ幹線の役割を果たした。江戸時代後期には、蝦夷地(えぞち)の調査や防備のため北に向かう幕臣や各藩の役人の往来もあった。奥州街道は千住(せんじゅ)(東京都)から下野(しもつけ)宇都宮(栃木県)までは日光街道と重なり、下野白沢(しらさわ)(栃木県宇都宮市)から陸奥白河(福島県)までの10宿が道中奉行支配のもと奥州道中と呼ばれたが、白河以北についても一般には奥州街道の延長とみなされて、沿道各藩によって整備し、維持された。盛岡(岩手県)を出て北に向かい、渋民(しぶたみ)・沼宮内(ぬまくない)両宿を経て現在の一戸町域に入った奥州街道は、馬羽松(まはまつ)、擦糠(すりぬか)、中山、火行(ひぎょう)、小繋(こつなぎ)、小鳥谷(こずや)、高善寺の集落を経て一戸宿に至る。盛岡から3番目の宿駅にあたる一戸には、参勤交代のため通行する八戸(はちのへ)藩、松前藩と領内を巡視する南部藩の本陣が置かれていた。南の宿駅である沼宮内からの距離は約32kmと長く、また起伏に富む険しい道のため、一戸までたどり着けない旅人が中山に泊まることもあったという。小繋は西の浄法寺(じょうぼうじ)(現二戸市)へ向かう巡検道との分岐点で、盛岡以北最初の番所が置かれていた。一戸を過ぎて北上すると、歌枕「末の松山」の地と称される浪打(なみうち)峠を経て福岡(現二戸市)へと向かう道筋だった。一戸町域の奥州街道は、明治以後も変わらず近世の趣を残す部分が多く、とくに南から擦糠、小繋・与の坂、高屋敷・川底、関屋・女鹿・小姓堂、浪打峠の5区間はかつての街道の雰囲気を今に伝える。また街道につくられた一里塚は、町域7地点のうち御堂(みどう)・馬羽松、中山、小繋、川底、浪打峠の5地点で現存する。奥州街道の一部5区間(延長8.8km)と、御堂・馬羽松、中山、川底、浪打峠の4つの一里塚が、2010年(平成22)に国の史跡に指定された。IGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線一戸駅から徒歩約7分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

奥州街道
おうしゅうかいどう

江戸時代、千住(せんじゅ)宿(東京都足立(あだち)区、荒川区)から陸奥(むつ)三厩(みんまや)(青森県東津軽(ひがしつがる)郡外ヶ浜(そとがはま)町三厩)に至る街道。時期により多少変化はあるが、115宿ほどの宿駅を数えた。奥州道中の別称でもある。しかし、幕府道中奉行(ぶぎょう)の管轄下にある江戸五街道の一つである奥州道中は白河(しらかわ)宿(福島県)までの街道のことで、しかも宇都宮(栃木県)までは日光道中と同道であった。そして白河宿以北の陸奥国の部分は奥(おく)街道、仙台道中、松前(まつまえ)道、仙台松前道などとよばれ、奥州道中と区別されることもあったが、しだいに江戸より三厩に至る街道を奥州街道または奥州道中とよぶことが多くなった。道筋は古代の東山道、中世の奥州より鎌倉に至る鎌倉街道沿いであるが、踏査的にみるとかなり異にする所が多く、各藩の街道整備でほぼ元和(げんな)・寛永(かんえい)期(1615~44)に定まったといえる。羽州街道の合流する桑折(こおり)宿(福島県)以南の通行量が多く、1821年(文政4)調べの奥州街道通行大名数は37家であった。盛岡城下以北の通行は少なかったが、幕末になると蝦夷(えぞ)地警備で江戸および諸藩と松前を往来する武士が多くなり、公用人馬の徴発が激増した。一方、江戸中・後期には、出羽(でわ)三山、松島、平泉などの参詣(さんけい)、遊覧の人々が増大し、また、伊勢(いせ)参りなど奥羽より江戸、上方(かみがた)方面に上る庶民の姿もしだいに多くなった。荷物は、上りは幕府・藩の江戸廻米(かいまい)、煙草(たばこ)・紅花(べにばな)などで、下りはおもに各城下町に運ばれる呉服・木綿などの衣料品が主であった。藩境には番所が設けられ交通の統制にあたったが、関東の栗橋(くりはし)番所(埼玉県)が性質上もっとも厳しかった。[渡辺信夫]

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世界大百科事典内の奥州街道の言及

【奥州道中】より

…千住~宇都宮間の17宿は日光道中に属するが奥州道中をも兼ねる。白河以北は仙台・松前道と称する脇往還で,広義には千住以北を俗に奥州街道とも呼ぶ。当初は奥州筋への道が重視されたが,日光東照宮の造営以後,千住~宇都宮間は日光道中に編入されたとも考えられる。…

【千住】より

…江戸期は幕府直轄領。1594年(文禄3)荒川に千住大橋が創架されたころから町場化が進み,1625年(寛永2)奥州街道,日光道中(千住~宇都宮間の17宿が重複)の初宿に指定された。以来,公用貨客を運送する伝馬役,歩行(あるき)役を負担し,その代償として地子免除などの特権を与えられた。…

【仙台・松前道】より

…奥州道中北端の白河宿から北上して箱館(函館)に至る近世の脇往還。奥州地方を縦走するところから奥州街道とも俗称され,おもな道筋は福島―仙台―盛岡―野辺地(のへじ)―青森―三厩(みんまや),渡海して松前―箱館に達する。区間や宿駅数には諸説がある。…

※「奥州街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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