上豊田村
かみとよだむら
東千太村の北、日野川東岸にある。下豊田村と一括されて豊田村とよばれることが多い。四日市村の枝郷で、享和三年(一八〇三)新田村として届出された(藩史)。天保郷帳では高二四石余、四日市村新田と注記される。本免は四ツ七分。当村は安田重右衛門墓碑に「元禄庚午上豊田初、辛未下豊田初」とあるとおり、元禄(一六八八―一七〇四)初年頃から開発され、車尾村から重右衛門・種右衛門、下新印村から定吉・九郎兵衛、兼久村から又兵衛、八幡村から治良左衛門らが移住した。とくに車尾村の豪農深田氏による開発は一八〇石余に及び、当村に分家を構えた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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