日吉津村(読み)ひえづむら

日本歴史地名大系 「日吉津村」の解説

日吉津村
ひえづむら

[現在地名]日吉津村日吉津

日野川下流域右岸の低湿地に位置し、伯耆街道のほか、北のいま村を経て日野川を渡り海池かいけ(現米子市)方面へ至る道が通る。伯耆街道上の日野川には渡船場が設けられ、正保国絵図には幅四〇間とある。「伯耆志」によれば南は蚊屋かや(現米子市)、東は佐陀さだ(現淀江町)美濃みの(現米子市)とされるが、現在当地は佐陀とは接さず、米子市二本木にほんぎ地区がその間を細長く日本海まで延びている。応永二六年(一四一九)一二月二五日の山名氏之書下写(蚊屋島神社文書)に日吉津村大神宮とみえるほか、中世には日江津・比江津などとも記された。天文一四年(一五四五)一一月七日の豊信安堵状(同文書)によれば、蚊屋庄のうち伊勢宮(現蚊屋島神社)の修理料所日江津浜田が田口修理進に安堵されている。天正一九年(一五九一)一二月二〇日の伊勢大神宮神田注文(同文書)には、「ひへ津」「ひへつ」の作人として新五郎・次郎・九郎左衛門・二郎の名がみえる。当地に伊勢宮が鎮座することから、古代美濃郷の系譜をひくと考えられる伊勢神宮領の三野みの御厨に含まれたとも考えられる。

日吉津村
ひえづそん

面積:四・一一平方キロ

北は日本海(美保湾)に面し、東・南・西は米子市に囲まれる。北流する日野川下流右岸に位置し、村域は同川によって形成された砂堆列とその背後の低湿平野からなる。耕地は町域の約五七パーセントを占める。村域南端を国道九号がかすめ、その南側の米子市域をJR山陰本線が通る。また村域中央やや北寄りを国道四三一号が横断し、皆生かいけ温泉(現米子市)に通じる。村内では考古遺跡は知られていない。村域は日野川河口近くの氾濫原や海辺の砂丘地帯であり、後背湿地の形成がみられないことから、古代の遺跡も含め存在した可能性は少ない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「日吉津村」の意味・わかりやすい解説

日吉津〔村〕
ひえづ

鳥取県西部,日野川下流東岸にある村。美保湾に面し,他の三方は米子市と接する。海岸部は砂堆列で内陸側に水田が開ける。面積は県内最小。化繊,製紙用パルプの工場が立地。米作のほか,チューリップを栽培。国道 431号線が通る。面積 4.20km2。人口 3501(2020)。

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