上野町一丁目(読み)うえのまちいつちようめ

日本歴史地名大系 「上野町一丁目」の解説

上野町一丁目
うえのまちいつちようめ

[現在地名]台東区上野一丁目・同三―四丁目・同六丁目

下谷同朋したやどうぼう町の北にある。寛永寺創設以前は葭・萱が茂った小高い丘で一円上野村といった。同村西部しのぶヶ岡にあった集落が寛永年間(一六二四―四四)に山麓南方に移って上野町になったという。また忍ヶ岡にあった当時は二羽村とよばれたが、寛永寺建立に伴って南麓に代地を与えられて移ったとも伝える(文政町方書上)下谷広小路(上野広小路)東方南北に通る裏道に面していて、東は御徒組屋敷(仲御徒町三丁目)、西は上野北大門うえのきただいもん町・上野元黒門うえのもとくろもん町。正保江戸絵図には大僧正だいそうじよう町とあり、寛文新板江戸絵図には「上野丁」とみえ、延宝江戸方角安見図に至って「上野丁二丁メ」とあるので、この頃一丁目と二丁目が分離したのであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

一月五日ごろから二月二、三日ごろの、小寒、大寒合わせた約三〇日間。寒中(かんちゅう)。《 季語・冬 》[初出の実例]「寒(カン)の中 薬喰 声つかふ 酒作 紅粉(べに) 門垢離(かどごり)」(出典:俳...

寒の内の用語解説を読む