日本歴史地名大系 「上難波町」の解説 上難波町かみなんばちよう 大阪府:大阪市東区上難波町[現在地名]東区北久宝寺(きたきゆうほうじ)町五丁目・南久宝寺(みなみきゆうほうじ)町五丁目・博労(ばくろう)町五丁目・渡辺(わたなべ)町北久宝寺町五丁目の西にある。南北に延びる渡辺筋の町。北は南御堂(みなみみどう)(現難波別院)西裏坐摩(ざま)神社の北から南は博労(ばくろう)町の通りまで。北久宝寺町(きたきゆうほうじまち)通と博労町の通りの間は、東側が御堂筋の少し西側まで張出している(天保町鑑)。もと上難波村に含まれたが、元和五年(一六一九)の大坂市中拡張の際市街地に繰込まれた(大坂濫觴書一件)。当町一帯は同村百姓の居所と推定される。町名は明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図にみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一一八・役数一二六半役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by