朝日日本歴史人物事典 「上馬養」の解説
上馬養
生年:養老2(718)
奈良時代の下級官人。光明皇后の発願した写経事業の校生(校正係)として出勤を始め(739),その後写経事業が東大寺に移管されるとともに自らも,東大寺写経所で校生となり,さらに同所の案生として経典,雑物などの出納係となった。また,近江国石山(大津市石山)に造営された東大寺の別院ともいうべき石山寺の造営事業にもたずさわるなどした。造営のほか経営の才にも恵まれていたらしく,物品の売買や月借銭(高利貸)の運用にも当たった。ただし身分は史料にみえるかぎり,57歳で正六位上の位階にとどまっており,その一生は下級官人として過ごしたものと思われる。彼の署名のある古文書が正倉院文書中に多数残されている。本籍は河内国大県郡津積郷(柏原市)にあった。<参考文献>鬼頭清明『日本古代都市論序説』
(鬼頭清明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報