石山寺(読み)イシヤマデラ

デジタル大辞泉 「石山寺」の意味・読み・例文・類語

いしやま‐でら【石山寺】

大津市石山町にある真言宗御室派の別格本山。山号は石光山。開創は天平勝宝元年(749)と伝え、開基は聖武天皇、開山は良弁ろうべん西国三十三所の第13番札所。永長元年(1096)再建の本堂、建久5年(1194)建立の多宝塔は国宝。石山寺縁起など多数の文化財を所蔵。本堂に紫式部源氏物語を書いたという「源氏の間」がある。

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精選版 日本国語大辞典 「石山寺」の意味・読み・例文・類語

いしやま‐でら【石山寺】

  1. 滋賀県大津市石山寺にある真言宗東寺派の寺。山号は石光山。天平勝宝年間(七五〇‐七五七)良弁が開創。本尊は如意輪観音。本堂東方の源氏の間で「源氏物語」が書き始められたという。近江八景の一つ「石山の秋月」で知られる観月の名所。西国三十三か所第一三番札所。本堂、多宝塔は国宝。

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日本歴史地名大系 「石山寺」の解説

石山寺
いしやまでら

[現在地名]大津市石山寺一丁目

瀬田せた川西岸にある真言宗の古刹。現在は東寺真言宗。山号石光山。「枕草子」寺はの段に「石山」とあるようにつとに都人に親しまれ、観音信仰の霊地で貴庶の参詣を集めた。西国三十三所観音霊場一三番札所で、東大門の南に天明五年(一七八五)建立の石造道標がある。近江八景の一つ「石山秋月」としても名高く、境内の月見つきみ亭からの景観は美しい。また本堂や本尊如意輪観音像、「石山寺縁起」(以下縁起と略)など多くの文化財を伝え、近江の正倉院と称される。境内に特異な様相をみせる硅灰石は国指定天然記念物。寺号はこの奇岩に由来するという。

〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉

〔創建〕

天平一九年(七四七)聖武天皇の命で建立されたと伝え(三宝絵詞)、天皇が奈良東大寺の盧舎那仏の金箔がないことを憂えていたところ、当地に伽藍を建立し、如意輪法を修せば金宝ができるという夢告があり、「栗太郡勢多村下一勝地」に建立したのが石山寺で、如意輪観音と執金剛神像を安置したという(東大寺要録)。「扶桑略記」天平二一年一月四日条にもほぼ同じ話を載せるが、「志賀郡瀬田江辺」で老翁が石に座しているので、その上に観音像を造るよう託宣があったとしている。いずれも瀬田とするのが注目されるところで、また同条に良弁がこの件で祈誓したことが記されるが、良弁が当寺の創立者とされるのは、のちの増改築の中心になったためという。増改築以前は仏堂一宇・板葺板倉一宇・板屋九宇などの寺院であったという。

〔増改築〕

この増改築は、天平宝字三年(七五九)建設が始まった保良ほら宮の鎮護寺として、同五年末より造東大寺司の担当で造石山寺所が設置されて進められた。別当は造東大寺司主典の安都雄足が兼任、普請には大僧都良弁が深くかかわっており、翌六年三月には石山に赴いて指揮している。その用材は田上たなかみ甲賀こうか高島たかしまなどの山作所から、檜皮は大石おおいし山、鍛冶用炭は立石たていし山・小石こいし(石山近辺か)から供給された。これらの資材は勢多せた荘経由か、直接石山津に運ばれ荷揚げされた。この一連の工事は多数の正倉院文書からうかがえ、当時の杣や杣人の存在、その技術や工芸品、さらに野洲やす川や瀬田川などによる流通体系、市の所在などが知られる貴重な史料で、石山寺の増改築が近江の湖南一帯を中心に及ぼした影響ははかりしれない。工事は同六年七月末にほぼ終えるが、新立の写経堂・経師房・盛殿のほかは、旧仏堂の再利用をはじめ信楽しがらき(現滋賀県信楽町)から矢川やかわ(現同県甲南町)を通じて移建された三丈殿(法備国師の施入)を法堂、同じく移建の五丈殿を食堂とし、また僧房や大炊屋・温屋は勢多荘から移すなど、かなりの急ぎ普請であったことがうかがえる。


石山寺
いしやまでら

[現在地名]守山区瀬古

西天山妙行院と号し、天台宗。本尊十一面観世音菩薩。寛元年中(一二四三―四七)道円の開基と伝え、当寺の十一面観音は、近江の石山寺の観音と同木であるゆえに寺号を石山寺とよぶ(尾張名所図会)というが、近江の石山寺のものは塑像であり、当寺のは木像である(徇行記)。往古は石山寺・無量寺・福田寺・光蔵寺・光善寺の五院があったが、衰微して石山寺だけが残った。石山寺に安置される阿弥陀・薬師・地蔵などはそれらの寺の本尊であった。近くに矢田やだ川が流れているので、洪水に度々あい、縁起・旧記は伝わらない。釈迦如来坐像(文永三年勧進銘、貞和六年・慶長四年修補銘)阿弥陀如来坐像(正応元年銘、嘉吉二年修補銘)・薬師如来坐像(貞和六年修補銘)があったが、ともに戦災で焼失した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石山寺」の意味・わかりやすい解説

石山寺
いしやまでら

滋賀県大津市石山寺にある真言宗東寺(とうじ)派の別格本山。石光山(せっこうざん)と号する。西国(さいごく)三十三所第13番札所。749年(天平勝宝1)、聖武(しょうむ)天皇の勅願により、良弁(ろうべん)が開創。東大寺大仏の鋳造、荘厳(しょうごん)のため諸国に黄金を求めたとき、勅を受けた良弁が、石山の地の岩上に天皇御持仏の如意輪観音(にょいりんかんのん)像を安置、草庵(そうあん)を結んで祈願したところ、まもなく陸奥(むつ)国からの黄金献上という奇瑞(きずい)を得て、この地に寺を開いた。そして良弁は1丈6尺(約4.8メートル)の観音像をつくり、その中に先の像を納めて本尊としたと伝えられ、以来勅願寺として朝野の信を集め、参詣(さんけい)者が相次いだ。初め東大寺(華厳(けごん)宗)に属していたが、平安中期に真言密教に改められ、観賢(かんげん)、淳祐(じゅんゆう)らが住した。1078年(承暦2)伽藍(がらん)を焼失したが、翌1079年一部を再興。建久(けんきゅう)年間(1190~1199)に源頼朝(よりとも)が再建し、多宝塔を寄進したという。さらに寛元(かんげん)年間(1243~1247)に叡尊(えいそん)が再興、現存の本尊(如意輪観世音半跏像(かんぜおんはんかぞう)。国の重要文化財)をつくった。像は秘仏となっており、歴代天皇の即位の初歴に開扉する定めであるが、今日では33年に一度開帳される。1604年(慶長9)豊臣秀頼(とよとみひでより)と淀君(よどぎみ)の寄進により修造が行われた。

 山腹に南面した本堂は相の間(あいのま)と懸造(かけづくり)の礼堂(らいどう)が付加されており、内陣に平安後期の遺風を残している。多宝塔は鎌倉時代の遺構で、わが国最古の整美を誇り、本堂とともに国宝である。また東大門、鐘楼、宝篋印塔(ほうきょういんとう)が国の重要文化財に指定されている。寺宝には、中国唐代の『玉篇(ぎょくへん)』や平安時代の古文書(こもんじょ)など国宝10点のほか、観世音菩薩(ぼさつ)立像、釈迦如来(しゃかにょらい)像、維摩居士(ゆいまこじ)像、厄除不動明王(やくよけふどうみょうおう)像、淳祐内供坐像(ないくざぞう)、『石山寺縁起絵巻』『源氏物語絵巻』『石山寺一切経』など国の重要文化財も多い。本堂の傍らには紫式部が『源氏物語』を執筆したといわれる「源氏の間」があり、『蜻蛉(かげろう)日記』『枕草子(まくらのそうし)』『和泉式部(いずみしきぶ)日記』『更級(さらしな)日記』などにも当寺がしばしば登場し、また歌に詠まれるなど、文学とのゆかりも深い。

 寺域は瀬田川に臨む景勝の地で、古来「石山の秋月」として名高く、近江(おうみ)八景の一に数えられる。行事には石山祭(5月1日)、青鬼ほたる祭(6月中旬)、石山観音千日会(8月9日)、名月紫式部祭(中秋名月の日)などがある。

[金岡秀友]

『井上靖・塚本善隆監修『古寺巡礼 近江 2 石山寺』(1980・淡交社)』


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改訂新版 世界大百科事典 「石山寺」の意味・わかりやすい解説

石山寺 (いしやまでら)

滋賀県大津市にある真言宗の寺。山号は石光山。東大寺造営のとき,近江からの用材を集荷した〈石山院〉という役所をもとに,東大寺の僧良弁(ろうべん)が762年(天平宝字6)ごろ,これを寺院に改めたのが当寺の始まりである。そののち平安時代,醍醐寺を開創した聖宝(しようぼう)が初代の座主(ざす)になって,当寺はこれまでの東大寺末の華厳宗の寺から,真言密教の寺院となった。このころすでに当寺の本尊如意輪観音の霊験は,清水・長谷とともに天下に広まり,平安貴族や庶民の遊楽や参籠が続き,〈石山詣〉という言葉も生まれた。参籠者のなかには,紫式部や和泉式部,また赤染衛門など当代一流の女流作家の名も見える。紫式部が当寺において湖上の月を眺めながら《源氏物語》の筆をおこしたという有名な伝承も,遅くとも室町後期には成立し,またそれを裏づけるかのように,本堂の一隅にこれにちなむ〈源氏の間〉と称する部屋がいまに残されている。当寺の観音信仰は,中世以降もますます盛んとなり,西国三十三所観音霊場の巡礼の風習がおこると,当寺は第13番札所となって,今日まで庶民の巡礼で賑わうこととなった。鎌倉期から江戸期にかけて書きつがれた7巻本の当寺伝蔵の《石山寺縁起》(重文)は,観音霊験を喧伝すべく制作されたものであって,このなかでは当寺の開創について,東大寺大仏の造立にあたって聖武天皇から金山の探索を命じられた良弁が,当地に観音像を安置して祈念したところ,陸奥で黄金が発見されてめでたく大仏造立が完成したとの観音霊験の伝承を伝えている。創建当初の建物は1078年(承暦2)の火災で全焼したが,そののち復興され,現存の堂宇は鎌倉期以降に改築されたものが多い。なかでも,国宝の本堂は藤原期の古式を残し,また源頼朝が寄進したという多宝塔(国宝)は,真言宗独特の宝塔で鎌倉期の様式をみせ,均整のとれた構造美で有名である。1573年(天正1),織田信長と足利義昭の争いに巻きこまれた当寺は戦後しばらく荒廃したが,1602年(慶長7)淀君の援助で堂宇を修理し,江戸時代には寺領高579石,寺観も安定をとりもどした。寺地は瀬田川の西方にあり,境内には石山の名にふさわしく奇岩怪石が多く,伽藍は山岳寺院形式で配置され,周辺は風光明媚,古来〈石山秋月〉は近江八景の随一として著名である。
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百科事典マイペディア 「石山寺」の意味・わかりやすい解説

石山寺【いしやまでら】

滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺院。749年―757年開創。良弁(ろうべん)が奈良大仏の建立のための黄金を得るため,如意輪観音に祈願したのが起源。平安時代,観音信仰が盛んになるにつれ,上下の尊崇を集め,西国三十三所観音霊場13番札所。また紫式部が《源氏物語》を執筆した所と伝える。本堂は藤原時代の建築で,現本尊は岩座上に半跏(はんか)する如意輪観音像。鎌倉初期建立の多宝塔は当時の和様建築の代表的なもので,現存最古。これらを含め国宝・重要文化財に恵まれ,また《石山寺縁起絵巻》や,月見亭からの景観でも知られる。
→関連項目大津[市]小栗宗湛造東大寺司田上杣多宝塔琵琶湖国定公園和様建築

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石山寺」の解説

石山寺
いしやまでら

滋賀県大津市石山寺にある東寺真言宗の別格本山。西国三十三所観音第13番札所。石光山(しゃっこうざん)と号す。749年(天平勝宝元)聖武天皇の勅願で良弁(ろうべん)の開基と伝える。造石山寺所が設けられ,761年(天平宝字5)から翌年にかけて諸堂が整えられた。はじめ東大寺と関係が深かったが,平安時代には真言の道場となり,聖宝(しょうぼう)(初代座主)や観賢(2代)・淳祐(3代)ら多数の名僧を輩出。また観音信仰の隆盛にともなって天皇や貴族らの信仰を集め,参詣者があいついだ。1078年(承暦2)火災で全焼,現存の本堂は96年(永長元)の再建。多宝塔は1194年(建久5)の建立で源頼朝の寄進という。本堂・多宝塔が国宝に指定されているほか,「延暦交替式」など多数の国宝を所蔵する。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石山寺」の意味・わかりやすい解説

石山寺
いしやまでら

滋賀県大津市石山寺辺町にある真言宗御室派の寺院。西国観音霊場三十三所第 13番の札所。山号は石光山。天平勝宝年間 (749~757) ,聖武天皇の勅願による良弁僧正の開基と伝える。しかし実際は大仏殿建立の用材採集の事務を司る石山院を建てたのが始りという説が有力。平安時代に醍醐寺の聖宝,観賢,淳祐らが再興し,公家貴族の崇敬を集め,石山寺詣が盛大に行われた。平安時代の古式を残す本堂,鎌倉時代の多宝塔 (ともに国宝) などの建造物,仏像仏画,聖教類,『石山寺縁起絵巻』など多くの文化財を所蔵している。

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旺文社日本史事典 三訂版 「石山寺」の解説

石山寺
いしやまでら

滋賀県大津市石山にある真言宗の寺
聖武天皇の勅願で良弁 (ろうべん) の開創と伝える。761年から翌年にかけての造営。東大寺大仏建立の黄金を得るために,良弁がこの地に如意輪観音を奉安し祈願したことに始まるとされる。平安時代には観音信仰が盛んで貴族が多く参詣した。国宝級の文化財が多く,多宝塔は鎌倉初期の建築。

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デジタル大辞泉プラス 「石山寺」の解説

石山寺

滋賀県大津市にある寺院。真言宗。山号は石光(せっこう)山。749年開創と伝わる。多宝塔、本堂は国宝。本堂には紫式部が『源氏物語』を起筆したと伝えられる「源氏の間」がある。本尊の木造如意輪観音半跏像は重要文化財。西国三十三所第13番札所。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「石山寺」の解説

石山寺
(通称)
いしやまでら

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
石山寺誓湖
初演
宝永4.1(京・早雲座)

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事典・日本の観光資源 「石山寺」の解説

石山寺

(滋賀県大津市)
湖国百選 社/寺編」指定の観光名所。

石山寺(第13番)

(滋賀県大津市)
西国三十三箇所」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の石山寺の言及

【田上杣】より

…《万葉集》の〈藤原宮の役民の作る歌〉に〈衣手の 田上山の 真木さく 檜の嬬手(つまで)を もののふの 八十氏河(やそうじがわ)に 玉藻なす 浮かべ流せれ〉とあるように,田上山のヒノキの角材を宇治川に流して木津川へ入れ,藤原京造営の用材とした。762年(天平宝字6)の石山寺造営には,造東大寺司管轄下の山林として国家から指定されている。石山寺の用材の大部分は田上杣で伐採されたが,伐採作業は田上山作所の監督官である領2人の下に,専門工人の司工2人,鉄工1人と臨時工人の雇工3人,様工6人,仕丁10人のほか,運送に従事する仕丁,雇夫によって進められた。…

※「石山寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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