石山寺(読み)いしやまでら

日本大百科全書(ニッポニカ)「石山寺」の解説

石山寺
いしやまでら

滋賀県大津市石山寺にある真言宗東寺(とうじ)派の別格本山。石光山(せっこうざん)と号する。西国(さいごく)三十三所第13番札所。749年(天平勝宝1)、聖武(しょうむ)天皇の勅願により、良弁(ろうべん)が開創東大寺大仏の鋳造、荘厳(しょうごん)のため諸国に黄金を求めたとき、勅を受けた良弁が、石山の地の岩上に天皇御持仏の如意輪観音(にょいりんかんのん)像を安置、草庵(そうあん)を結んで祈願したところ、まもなく奥(むつ)国からの黄金献上という奇瑞(きずい)を得て、この地に寺を開いた。そして良弁は1丈6尺(約4.8メートル)の観音像をつくり、その中に先の像を納めて本尊としたと伝えられ、以来勅願寺として朝野の信を集め、参詣(さんけい)者が相次いだ。初め東大寺(華厳(けごん)宗)に属していたが、平安中期に真言密教に改められ、観賢(かんげん)、淳祐(じゅんゆう)らが住した。1078年(承暦2)伽藍(がらん)を焼失したが、翌1079年一部を再興。建久(けんきゅう)年間(1190~1199)に源頼朝(よりとも)が再建し、多宝塔を寄進したという。さらに寛元(かんげん)年間(1243~1247)に叡尊(えいそん)が再興、現存の本尊(如意輪観世音半跏像(かんぜおんはんかぞう)。国の重要文化財)をつくった。像は秘仏となっており、歴代天皇の即位の初歴に開扉する定めであるが、今日では33年に一度開帳される。1604年(慶長9)豊臣秀頼(とよとみひでより)と淀君(よどぎみ)の寄進により修造が行われた。

 山腹に南面した本堂は相の間(あいのま)と懸造(かけづくり)の礼堂(らいどう)が付加されており、内陣に平安後期の遺風を残している。多宝塔は鎌倉時代の遺構で、わが国最古の整美を誇り、本堂とともに国宝である。また東大門、鐘楼、宝篋印塔(ほうきょういんとう)が国の重要文化財指定されている。寺宝には、中国唐代の『玉篇(ぎょくへん)』や平安時代の古文書(こもんじょ)など国宝10点のほか、観世音菩薩(ぼさつ)立像、釈迦如来(しゃかにょらい)像、維摩居士(ゆいまこじ)像、厄除不動明王(やくよけふどうみょうおう)像、淳祐内供坐像(ないくざぞう)、『石山寺縁起絵巻』『源氏物語絵巻』『石山寺一切経』など国の重要文化財も多い。本堂の傍らには紫式部が『源氏物語』を執筆したといわれる「源氏の間」があり、『蜻蛉(かげろう)日記』『枕草子(まくらのそうし)』『和泉式部(いずみしきぶ)日記』『更級(さらしな)日記』などにも当寺がしばしば登場し、また歌に詠まれるなど、文学とのゆかりも深い。

 寺域は瀬田川に臨む景勝の地で、古来「石山の秋月」として名高く、近江(おうみ)八景の一に数えられる。行事には石山祭(5月1日)、青鬼ほたる祭(6月中旬)、石山観音千日会(8月9日)、名月紫式部祭(中秋名月の日)などがある。

[金岡秀友]

『井上靖・塚本善隆監修『古寺巡礼 近江 2 石山寺』(1980・淡交社)』


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百科事典マイペディア「石山寺」の解説

石山寺【いしやまでら】

滋賀県大津市石山寺1丁目にある東寺真言宗の寺院。749年―757年開創。良弁(ろうべん)が奈良大仏の建立のための黄金を得るため,如意輪観音に祈願したのが起源。平安時代,観音信仰が盛んになるにつれ,上下の尊崇を集め,西国三十三所観音霊場13番札所。また紫式部が《源氏物語》を執筆した所と伝える。本堂は藤原時代の建築で,現本尊は岩座上に半跏(はんか)する如意輪観音像。鎌倉初期建立の多宝塔は当時の和様建築の代表的なもので,現存最古。これらを含め国宝・重要文化財に恵まれ,また《石山寺縁起絵巻》や,月見亭からの景観でも知られる。
→関連項目大津[市]小栗宗湛造東大寺司田上杣多宝塔琵琶湖国定公園和様建築

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「石山寺」の解説

石山寺
いしやまでら

滋賀県大津市石山寺辺町にある真言宗御室派の寺院。西国観音霊場三十三所第 13番の札所。山号は石光山。天平勝宝年間 (749~757) ,聖武天皇の勅願による良弁僧正の開基と伝える。しかし実際は大仏殿建立の用材採集の事務を司る石山院を建てたのがりという説が有力。平安時代に醍醐寺の聖宝,観賢,淳祐らが再興し,公家貴族崇敬を集め,石山寺詣が盛大に行われた。平安時代の古式を残す本堂,鎌倉時代の多宝塔 (ともに国宝) などの建造物,仏像仏画,聖教類,『石山寺縁起絵巻』など多くの文化財を所蔵している。

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デジタル大辞泉「石山寺」の解説

いしやま‐でら【石山寺】

大津市石山町にある真言宗御室派の別格本山。山号は石光山。開創は天平勝宝元年(749)と伝え、開基は聖武天皇開山良弁(ろうべん)西国三十三所の第13番札所。永長元年(1096)再建の本堂、建久5年(1194)建立の多宝塔は国宝。石山寺縁起など多数の文化財を所蔵。本堂に紫式部源氏物語を書いたという「源氏の間」がある。

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旺文社日本史事典 三訂版「石山寺」の解説

石山寺
いしやまでら

滋賀県大津市石山にある真言宗の寺
聖武天皇の勅願で良弁 (ろうべん) の開創と伝える。761年から翌年にかけての造営。東大寺大仏建立の黄金を得るために,良弁がこの地に如意輪観音を奉安し祈願したことに始まるとされる。平安時代には観音信仰が盛んで貴族が多く参詣した。国宝級の文化財が多く,多宝塔は鎌倉初期の建築。

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精選版 日本国語大辞典「石山寺」の解説

いしやま‐でら【石山寺】

滋賀県大津市石山寺にある真言宗東寺派の寺。山号は石光山。天平勝宝年間(七五〇‐七五七)良弁が開創。本尊は如意輪観音。本堂東方の源氏の間で「源氏物語」が書き始められたという。近江八景の一つ「石山の秋月」で知られる観月の名所。西国三十三か所第一三番札所。本堂、多宝塔は国宝。

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デジタル大辞泉プラス「石山寺」の解説

石山寺

滋賀県大津市にある寺院。真言宗。山号は石光(せっこう)山。749年開創と伝わる。多宝塔、本堂は国宝。本堂には紫式部が『源氏物語』を起筆したと伝えられる「源氏の間」がある。本尊の木造如意輪観音半跏像は重要文化財。西国三十三所第13番札所。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典「石山寺」の解説

石山寺
(通称)
いしやまでら

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
石山寺誓湖
初演
宝永4.1(京・早雲座)

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世界大百科事典 第2版「石山寺」の解説

いしやまでら【石山寺】

滋賀県大津市にある真言宗の寺。山号は石光山。東大寺造営のとき,近江からの用材を集荷した〈石山院〉という役所をもとに,東大寺の僧良弁(ろうべん)が762年(天平宝字6)ごろ,これを寺院に改めたのが当寺の始まりである。そののち平安時代,醍醐寺を開創した聖宝(しようぼう)が初代の座主(ざす)になって,当寺はこれまでの東大寺末の華厳宗の寺から,真言密教の寺院となった。このころすでに当寺の本尊如意輪観音の霊験は,清水・長谷とともに天下に広まり,平安貴族や庶民の遊楽や参籠が続き,〈石山詣〉という言葉も生まれた。

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世界大百科事典内の石山寺の言及

【田上杣】より

…《万葉集》の〈藤原宮の役民の作る歌〉に〈衣手の 田上山の 真木さく 檜の嬬手(つまで)を もののふの 八十氏河(やそうじがわ)に 玉藻なす 浮かべ流せれ〉とあるように,田上山のヒノキの角材を宇治川に流して木津川へ入れ,藤原京造営の用材とした。762年(天平宝字6)の石山寺造営には,造東大寺司管轄下の山林として国家から指定されている。石山寺の用材の大部分は田上杣で伐採されたが,伐採作業は田上山作所の監督官である領2人の下に,専門工人の司工2人,鉄工1人と臨時工人の雇工3人,様工6人,仕丁10人のほか,運送に従事する仕丁,雇夫によって進められた。…

※「石山寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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