日本歴史地名大系 「上鷹狩村」の解説 上鷹狩村かみたかがりむら 鳥取県:八頭郡用瀬町上鷹狩村[現在地名]用瀬町鷹狩(たかがり)美成(みなり)村の北東、千代川とその支流赤波(あがなみ)川に挟まれた沖積地に立地。一帯に下鷹狩村・小田(おだ)村があり、「因幡志」に「鷹狩上下、小田以上三村民戸、街道の左右にありて一村の如し」とある。街道とは智頭(ちず)街道のことで、当地から用瀬宿まで九町余(同書)。この地域は古代の八上(やかみ)郡散岐(さぬき)郷(和名抄)に含まれていたとみられる(天文二一年「大安興寺再興勧進願文」因幡民談記)。中世には高狩(たかがり)別符が成立しており、正応四年(一二九一)九月二八日の坊城俊定奉書案(楞厳寺文書)によると、宇倍(うべ)宮(現国府町)領高狩別符が服部(はとり)郷(現福部村)の替えとして左衛門督局(後嵯峨院妃)に与えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報