日本歴史地名大系 「下の切通」の解説 下の切通しものきりどおり 青森県:北津軽郡下の切通下十川(しもとがわ)村(現南津軽郡浪岡町)から梵珠(ぼんじゆ)山麓を北西に原子(はらこ)村・飯詰(いいづめ)村(現五所川原市)にぬけ、山麓沿いに金木(かなぎ)村(現金木町)から北上し小泊(こどまり)村に至る道。山根(やまね)通、小泊通ともいう。延宝九年(一六八一)の郡内駄賃定(弘前市史)に「下之切通」とある。承応二年(一六五三)の津軽領道程帳(市立弘前図書館蔵)によると「脇道 津軽領田舎郡藤崎村より同領鼻和郡相内村迄ノ道程 但十三湊ニ出ル道筋」として藤崎(ふじさき)村(現南津軽郡藤崎町)から十三(じゆうさん)湊(現市浦村)までがあげられ、「右道程〆拾三里五町五十弐間但十三湊道へ出ル道筋」とある。この脇道が郡内駄賃定では、大間越(おおまごし)(現西津軽郡岩崎村)―鰺ヶ沢(あじがさわ)(現同郡鰺ヶ沢町)―弘前―藤崎―浪岡(なみおか)(現浪岡町)―青森―狩場沢(かりばさわ)(現東津軽郡平内町)という大道筋から分れて、下十川村から入って原子村に至っているのは、幕府巡見使の通路で、そのために作成されたことによる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by